我が子を「間違いを認めたら死ぬ病」に罹患させないために

昨日は九九の話題でしたが今日は漢字のお話を。

息子は漢字も決して得意ではありません。いや、読むのだったら大人の本でもバリバリ読んでますよ。最近は森博嗣のギリシャ文字シリーズが妙にお気に入りで

「父ちゃん、この本(『ジグβは神ですか』)、死体をラップでくるむんだって! 凄くない?」

なんて盛り上がっております。でも書く方はイマイチ。脳のクロックが早すぎていちいち漢字を書くより全部ひらがなでメモしていきたい派なのです。

さすがにでもそれはいかがなものか、なので、毎日、漢字のプリントを1枚やらせています。ベネッセの。ベネッセには教え子がおるでね。でも春からは学研にも教え子が・・・・

閑話休題。

それで最近はそれなりに漢字のテストでもまともな点を取ってくるようになりました。一昨日は92点。

「父ちゃん、92点凄くない?」
「いや別に。テストはテスト。結果をチェックして改善するためにあるのがテストだから、テストの点など大して意味はない。大事なのは本番だ。」
「本番って?」
「学校の外にあるものが本番だ。学校に入るためのテストや学校を出るためのテストも含めて、学校の中にあるものはリハーサルだ。」
「じゃ、暗記しなくても良いってことか!」
「そうだ。学校の外ではいつでも漢字を調べることが出来る。だからいつもプリントをやる時、適当に書いて間違えるよりは最初から調べて書けと言ってるだろう。」

今はいつでも検索で単純なデータなら確認出来る時代ですから、暗記パワーの必要性って相対的に低下していると私は考えています。それよりは「ここは間違いが起きやすいぞ」というポイントを嗅ぎ分けて適切にチェックを行うという手順を身体化していった方が良い。自信が無ければ資料を見てチェック。自信があってもここは絶対に間違えられないという場所は、やはり資料を見てチェック。

学校の中のテストでは良い点は取れないかもしれませんが、学校を出た後でこのプロトコルは必ず焦点が合うはずです。立派な学歴を積み上げてるのに「間違いを認めたら死ぬ病」になっている胡散臭いコンサル諸氏の書きものを見るたびにそう思う。