自分は青木康先生をどこかの峠で超えられたのだろうかとたまに考える件

あれは大学4年の秋だったと思います。

学部の指導教員だった青木康先生のゼミは3年の春休みに初稿、夏休み明けに2稿を書かせるというスケジュールで、最終稿は冬休み明け提出でしたかね。とにかく卒論指導にはものすごく力が入ったゼミでした。

それで4年の秋。ゼミ中だったと思いますが青木先生さらりとおっしゃったんですね。

「僕の卒論、(研究者としてバリバリの一線級になった今の自分から見ても)嘘は書いてないよ。」

あの口調、今でも耳に残ってますよ。凄いと思いましたね。やっぱゼミでは青木先生に突っ込まれまくってるわけですから自分たち。その自分と同じ段階の若き東大生の青木くんが書いた卒論は、青木先生から見てもそんなおかしなもんじゃないってことですもん。

そういうものを自分も書けるんだろうか、書けたらなあと思ったですよ。どんだけ頑張ったらそういうもんが書けるんだろうかとか。

結果として言うと、私の卒論は論理的な破綻は無いはずですが、そして話としてはまあまあ面白い気もしますが、今の私から見たらBですね。Aは付けない。Sなんかありえない。

それでも3年の春休みには1万字以上は書いてましたし、英語の文献も何冊かは読みましたし、答えを出す為に考えに考えた。11月・・・・軽音のバンドの練習とバイト以外は卒論のことしかアタマに無かったんじゃないかなあ。

悔いのない学生生活を全うしようとすると多分いつか悔やむことになるんでしょうが、その後悔を5年後だか10年後だかに手にした瞬間、彼・彼女の学生生活は真の意味で完成するのかもしれません。

そう思っておくしかないんだよな、今の日本の大学は。