頼られるって良いことなのか?

3年生の就活用の自己PRの下書きを見て意見を求められることが多いのだけれど、かなりな頻度で目にするのが「後輩に頼られる先輩になることを目標にした」というようにして出てくる、「頼られる人間」という概念。

この「頼られる」という言葉の内容が、学生たちの中で未整理のままのような気がして、そこをもう少しクリアにせよとコメントしています。「頼られる」が「後輩から甘えられる」「尻を持ち込まれる」という意味であれば、それはあまりよろしくないのではないかとも。

縁による共同体(地縁、血縁などによる。英語ではcommunity。ドイツ語ではGemeinschaftで日本の社会学ではこっちで教えるけど、すぐに意味を忘れるのでもうコミュニティで良いじゃんと思う)たとえば学生サークルならば、そういう「甘える・甘えられる」「尻を持ち込む・持ち込まれる」も良いんだろうけれど、明確な目的のもとに編成された組織(会社組織など。英語ではsocietyあるいはasocciation。Gesellschaftというのはもう使うのやめようぜドイツ人以外)、たとえばゼミなどでは、無責任体制の温床になるから、あまり良いものではないと、私は思っています。

asocciationのメンバー間で大事なのは信頼する、信頼される関係なのではないか。では、信頼はどうやって生み出されるのかというと、まずはそれぞれが自分のjob descriptionの中身を最高のクオリティで遂行することであり、組織内の他のメンバーをinner customerと考えて、最高のcustomer experienceを提供することなんじゃないかと思うのですが、この辺は企業人の皆さんに意見を聞いてみたいですね。

もちろんjob description以外の部分で、困りごとや悩みについて意見を求められるというのは、人間として信頼されているということですし、そういう信頼関係があった方が、組織としても強いのは当然ですけれども、私人としての信頼、組織人としての信頼、コミュニティ的な「甘え・甘えられ」の区別はしておいた方が良さそうです。