水戸見学から帰還しました

無事に水戸見学ツアーから帰還しました。

20年ぶりに再会した沼田くんは、かなりのウェートアップがありましたけれども相変わらず熱い男で、2日間に渡る充実した内容の見学をプロデュースしてくれました。ありがとうございました。

さて水戸です。1996年に日帰りで一度だけ出張したことがありますが、その時は駅前の三の丸ホテルに直行して、用事が終わったらすぐ帰ったので、街の印象は全くありませんでした。ですから、今回が事実上初めての水戸訪問です。

地形としては那珂川と桜川(千波湖)に挟まれた台地の上に城と旧市街地があり、そこから周囲に市街地がスプロールしていっているという感じ。お約束として旧市街地と「古い郊外」を取り巻くようにバイパスが走っていたり、少し行くと海だったりと、修士課程で2年間住んだ金沢の街をそこここで思い出させるような街でした。兼六園、偕楽園というように極めて著名な日本庭園があるのも同じですね。

一方で、街のブランディングという部分では、金沢に完敗しているというのが正直な感想。中心市街地の街作りも、金沢(近江町、香林坊、片町、竪町エリア)が満点というわけではありませんが、水戸(水戸駅北口から大工町交差点)は厳しいなとも思いました。もともとの経済力(加賀百万石と水戸28万石、現在の人口は46万人と26万人)が違うという事情はあるにせよ、何かもう少しやりようはあるんじゃないかという気がしたのは事実です。それは沼田くんをはじめとする水戸の街作りグループにおいても既に共有されている認識のようで、何故、そうした問題意識が街作りの運動として立ち上がっていきづらいのかという事情についても色々な話を聞くことが出来ました。

とはいえ、今回の見学をアレンジしてくださった水戸市政策研究会を中心に、若手から中堅にかけての市職員の士気は極めて高いように思いましたし、問題意識の深化や現状分析も着実に進んでいるようです。人材は豊富だと思います。彼らが存分に力を発揮出来る環境さえ整えば、結構面白い展開があるのではないかと感じます。

その他、東日本大震災の時に水戸に何が起こったのかを知るというのも今回のテーマだったのですが、これについても旧市街地の商店主さんの話をうかがったり、市職員の方々の話をうかがったりすることが出来ましたし、現在も残る震災の痕跡を見学して回ることも出来ました。印象に残ったのは、震災直後のライフラインが止まっていた時期の市役所の内部状況、そして城南地区の地盤沈下のひどさでした。福島原発事故による風評被害についても、高妻先生から現場を回っている人ならではのお話を伺うことが出来ましたし、本当に中身の濃い見学になったと思います。来られなかった人は残念でした。

以下、覚え書き。

*市役所は壊れちゃ駄目。絶対ダメ。

災害発生時もそうですが、そこから被災エリアを回復させていくプロセスにおいても、ハードとしての市役所が使えなくなるということは洒落にならないハンデになります。

*災害発生時の救援物資のロジスティクスはちゃんと考えておかないと駄目。

どこにどんな物資がどれだけあって、何をどこにどれだけ運べば良いのか? 各種の電話網やインターネットが全部使えなくなったら、どうやって情報を共有し、指示を出すのか? 稲城の場合は市域が狭いので、最悪の場合は自転車を使っての情報伝達も出来るかと思いますし、6年前に買った市長公用車は災害時用の衛星電話や無線などを積んでありますけれども。