ジブリ二人

 宮崎駿さんが鞆の浦の埋め立て架橋問題について語っておられます。

 私自身はどちらかと言えば、鞆の浦の埋め立て架橋は止めた方が良いんじゃないかと思っています。ですが、詳しい事情を調査したわけではないので、絶対に止めろだとか、推進派はテロリストだとか叫ぶつもりはありません。六ヶ所村の再処理工場や南山東部土地区画整理事業を調べてみて、左翼が大騒ぎしている「環境問題」がいかに歪められて伝わっているか骨身にしみましたので。だから、詳しく調べてみたわけではないですけれども、上関原発も高尾山トンネルも八ツ場ダムも築地市場移転問題も、安易に反対意見に与するつもりはありません。

 私は宮崎さんの「埋め立て・架橋事業については、自分なりの考えは持っているけれど、賛成か反対かを主張する気はない。地元の人たちが決めることだと思う。」という姿勢に深く共感します。何故ならば、彼のような強い影響力を持つ人物が安易に賛成とか反対を明言してしまうことで、まともな議論が成り立ちづらくなるからです。

 論理学の基本的な概念に「権威論証」というものがあります。権威があると考えられている人物が言っているのだから正しい、という論法です。この論法は誤謬の一種とされています。宮崎さんは、ご自身がこの誤謬を引き起こすトリガーになることを注意深く避けておられます(ちなみに論理学の誤謬のうち、最近私の身の回りで良く見かけるものに「人身攻撃」というものもあります。ある主張を展開するKという人物には、これこれこういう悪い噂がある、だからKの主張は間違っている・・・という論法です)。

 スタジオジブリには二人の高名な監督がおられます。私はそのうち一人を深く尊敬し、もう一人を(以下省略)。