ヴァイオリニストたちの湾岸ミッドナイト

 昨日の記事では、マラテスタ師匠の出囃子に多分一番イメージ近いのは、ヨハンや伝ヴィターリのヴァイオリン独奏曲だという話になりました。

 たしかにどちらも、おそらくはイニゴくんがアンヘリカの色香に迷って死ぬ目に逢い続けていた時代に、「シャコンヌ」として演奏されていたメロディを元ネタにしているはずです。みなさまが音楽室で習った「天才の創造した芸術!」という煽りとは違って、「クラシック」の大作曲家・名曲というのも結構、そこらに転がっている出所不明のメロディを元ネタにしているもんなんです。そういうものを雪だるま式に複雑化させて幾多の名曲にでっち上げていったのが、音楽の教科書の「音楽史」の裏というか黒歴史なのであります。

 しかし。今CDで買って聴けるような演奏はというと、彼らが聴いていたのとは似ても似つかない、遙かにパワフルな演奏なんですねこれが。アコースティックギターとエレキギターくらい違う。

 何が違うといって、まず楽器です。というのは、ヴァイオリンがなんとなく今の形に近づいてきたのが17世紀後半。イタリアはクレモナのニコロ・アマティ(1596-1684)という人がヴァイオリンの形をほぼ決めて、この人の直弟子だったアントニオ・ストラディヴァリ(1644-1732)がヴァイオリンの胴体の設計を完成させたのです。実際、アマティやストラディヴァリが当時制作した楽器は、現在でも現役のものが数多くあり、億単位の値段を付けて取引されていますね。

 しかあし。ストラディヴァリが完成させたのは、ヴァイオリンの胴体。胴体部分の設計だけですよ。実は当時はえらい人の家の中のさほど広くない部屋でチーチー弾いていればそれで事足りたので、さほどの音量が求められなかったんですな。今みたいに何千人入る大ホールの最後列まで生音を届かさなければいけないソリストとは使い方が全然違う。

 ですから、当時はネックの部分の角度も緩く、ブリッジは低く・・・・要するに弦の張力が今とは比較にならんほど緩かったんですね。それで良かったんです。チューニングだってA=440ヘルツになったのは1939年ですからね。マラテスタ師匠の時代は国により人によりチューニングはバラバラでしたが、概ねA=410ヘルツ前後でした。ほとんどスラックキーっすよ。バロックは、モダン・ハワイアンだったのね。

 弓も違いました。今では「バロック弓」なんて呼んでいますが、今の弓よりも張りが弱い弓を使っていた。その弓が現在の形になったのは18世紀末です。さらに古い楽器はネックの角度をきつく修正され、指板とブリッジをつけかえられ、どんどんでかい音、強い音が出せるようにチューンナップされていきました。ストラドだグァルネリだなんて言ってるけど、要は車好きのアンちゃんが足回り変えてタイヤ変えてシート変えてエンジンいじってってやってるのと同じですからね。より下品によりパワフルに。これですよ。ベンツを下品にチューンナップして売ってるAMGという会社があるでしょう。あんな感じ。

 そうやってAMGチューンが基本になったヴァイオリン。運転法じゃなかった演奏法も段々下品になって参ります。これは最近出た研究なのですが、今や猫も杓子も朝から晩までという感じでフルフル震わせているあのビブラート。あれが始まったのは20世紀の前半だったということが明らかになったのです。というのは19世紀のヴァイオリニストの残した録音を聴くと、ほとんどビブラートというものをしていないんですねこれが。世のヴァイオリニストたちをエヴリデイ・エヴリタイム・ビブラートに向かわせたのはレコードだった。というオチのようです。

 つまりですね。ごく初期の録音機材というのは貧弱でしたから、ヴァイオリニストは機材に近寄って弾かなければならない。あるいは従来よりもでっかい音を出すか。ところが機材に近寄って弾くと楽器が機材に当たる事故が頻発して、お宝の楽器にキズはつくわ「録りなおし」になるわ散々でした。それではっつって従来よりもでっかい音で弾くと(もちろん彼らにその技術はありました)、弓がグギギと弦をこする生音まで録音されちゃったんですよ。離れて聴いてもらうぶんには、そういう音は聞こえないですからね。なんとなればそういう音をヴァイオリンの胴体は増幅しないので(共鳴しないから)。良くできていたんですね。さすがはストラディヴァリだ。しかし、もはや一流ヴァイオリニストたるものレコーディングは避けて通れない(だってそうでしょ。レコーディング・アーティストになることこそ一流の証しなんですからね)。

 そこで考え出されたのが、オルウェイス・ビブラート奏法だったのではないか。別に音程を揺らしたって音圧が変わるわきゃないんですが、聴感上は不思議と音が大きく聞こえるんですよこれが。よく言えばメリハリが付く。悪く言えば・・・車高落としてでっかいタイヤ履かせた車が妙に大きく見えるのと同じですな。皆までは申しますまい。

 そんなわけで、少なくともマラテスタ師匠やアラトリステの時代のヴァイオリンというのは、現在のこれ、右側のリンクでご紹介したCDで聴ける演奏とは似ても似つかぬものだったというお話でした。