飯⼭由貴というEmerging Artistが東京都人権プラザで開催した個展に合わせて、以前に制作してあった映画を上映しようとしたら差し止められたので、さっそく記者会見からの東京芸大でその筋の論客を集めてイベント、ウェブ配信ももちろんしますというニュースがあった。
小池百合子を狙ったトリップワイヤーフォースにも見える。
「この問題は東京都知事が「⼩池百合⼦都知事」でなければ起きなかったことでしょう。⼩池都知事の⻑年にわたって関東⼤震災の朝鮮⼈虐殺犠牲者の追悼式典に追悼⽂を送らないという態度は、歴史の否定、差別の煽動であると考えます」
いつぞやのあいちトリエンナーレに似ていなくもない。
アートなんだから何でも好きなように表現させてやれと思う一方で、東京都人権プラザ(そもそもここはファインアートを展示するための場所ではない)の過去の展示歴と見比べても飯⼭由貴が上映しようとした作品はかなり異質で、わざわざそれをぶっ込むのは何故? と思う。
これが都現美や都写美で上映差し止めだったら(都現美は会田家などの前科が色々あるので、きっと引っかかっただろう)都が100%ダサいんだが、人権擁護啓発が趣旨の施設で障害者の人権について啓発する個展をやってくれというオーダーに対して、受注した後でやたらとハイコンテクストかつカテゴリーエラーすれすれの曰く付き作品を持ち込んで、断られた途端に極左系ツイッタープチインフルエンサー総動員で抗議活動立ち上げというのは、さすが手慣れていらっしゃるという感想だ。
(手慣れていることが悪いわけではない。日本の左翼の伝統芸能みたいなものだ。これも保存と継承は必要である)
そもそも、なんで東京都人権プラザで飯山由貴の個展が企画され、それが通ったのかも不思議なのだ。
CVやステートメントを見ても決してわかりやすい(こういう啓発施設で呼ばれるような)作家ではないと思うのだが。 芸大や美大の非常勤講師という肩書で惑わされて、まさかこんな本物のアンチ小池百合子活動家と密接につながっているとは都の担当者も思い至らなかったのだろうか?
少しリサーチすればこういう話は出てくるのだが。
国際交流基金が本作を展示不可とした理由は、在日コリアンの問題、とくに1923年の関東大震災直後に起きた朝鮮人虐殺事件にふれる内容であるために展示ができないという回答だったようです。あらゆる政治社会的なイシューに関して、当然ながら意見の相違があり、絶対的な正解がないものである以上、そういった(「政治社会的な」)作品は助成できない、展示はさせられないとなると、社会政治的なもので、かつ現在進行形で起こっている論争的な事象について、今日の芸術は一切言及できないし、さわることすらできないということになる。
山本浩貴の発言より
いや、わざわざいかにも揉めそうな税金系の助成金や展示ベニューにぶっ込まなくても、クラファンや民間助成金(それこそ日朝協会とかの委嘱で)で制作して映画館で上映するなり、メディアアート系公募に出していくなり、やりようはいっくらでもあると思うんですけども。
結果としては、今度は都と盛大に揉めてみせたことで飯山の界隈での知名度はもう一段上がり、キャリアのブースターになった。もはや「In-Mates」は政府・自治体系の案件に隠し針として仕込んで騒ぎを起こすためのトリップワイヤーと化している。なんかおかしい。ツイフェミが局地的戦果を上げやすい自治体・公共系の萌え絵利用をせえので飽和攻撃してキルマークを増やしているのと同じに見える。
いったい、誰のための正義なのか?
世の中をもっと良い方に変えるため?
それとも、ツイッタープチインフルエンサーとしてのし上がって、いずれちんまい案件を獲得したり本を売ったりするための共同プロモーション?
そんな使い方をするよりも、普通に上映できるところでどんどん上映して色々な人に見てもらう方が作品としては幸せなんじゃないのかな。
一方で都の担当者たちは苦虫を噛み潰しているだろうし、人権プラザでは二度と現代アート作家の個展などやらせないくらいのことは不文律になったかもしれない。
ある種のダイナマイト漁のようなものだ。
そこでその爆弾を作動させたことの得失を広い目で見た時、果たして飯山は被害者なのだろうか?
いずれにせよ、飯山はキャリア的にもそろそろ海外展開して良い作家である。
これなんかどうだろう? 動画系公募では相当に大きなやつだ。締め切りは明後日。
追記:飯山由貴の手記はこちら。無理に小池百合子のお膝元にねじ込まなくとも内外のフィルムフェスやアート公募に出せばそれなりに評価される作品だと思うのだが。