アカデミアの物差しを自分に当ててみると、まず研究者としてはSABCDの5段階でC。テーマの選び方にセンスが無さすぎるし、それを売る努力も皆無だった。
逆に先生としてはS。教えること、学生の変化のトリガーを引くことについては天才的だった。だから10年以上経っても「先生、相談が」って連絡が来る。それどころか講義で教えたことが無い若者、なんなら入院先で知り合った理学療法士にまで先生と呼ばれてしまう。
とにかく「知識やスキルを教える・深く考える手助けをする」のが上手いのか、それしか出来ないのか、そういう人間だと見られている。
だから教員以外の仕事が出来ていると思う。
人間は自分で自分の考えていることを整理し、秩序づけるのが案外苦手なものだ。
自分はそのアシストが非常に上手い。
そしてこれはAIが様々な作業をやってくれる時代でも、ニーズが失くならないスキルだと予想している。
たとえばmidjourneyだ。あれを使えばそれっぽい画像はいくらでも生成出来る。
だが、現在の大喜利的な使用が一段落したら、「AIにこんな絵を描かせたい」という明確な目的を持った使用へとシフトしていく。
このとき「自分がAIに求めている成果物は何か。それをAIに的確に自然言語で伝えるにはどんな言葉が必要か」について、精度を高めたいというニーズは確実に浮上するだろう。
同じことはAI生成ロゴマークのようなサービスにも言える。マウスで適当にクリックしていればそれっぽいロゴマークはいくらでも生成されるが「自分のプロジェクトのアイデンティティとAI生成ロゴマークのズレを無くして表現の精度を高める」作業は人間にしか出来ない。
そこでもまたプロジェクトオーナーの思考からノイズを除去して、これがプロジェクトのコア、これが本質というものを抽出する必要がある。
同時にこれらは、AIがまさに「何も考えずに作った」モノを人間の紡ぐ物語の中に埋め込んでゆく作業でもある。
AI生成物も最後は人間の物語の中に置かれるのだ。