神に乗った男

 ビッグウェーヴ・ライディングの歴史を綴ったノンフィクション映画「ライディング・ジャイアンツ」のDVDを見ました。

 結論から言うと、圧倒されました。

 物語はビッグウェーヴ・ライディング前史としての、サーフィンの歴史の簡単な解説で幕を開けます。ハワイでは古代からサーフィンが娯楽として広く愛されていたこと、宣教師による弾圧、デューク・カハナモクの登場とメインランドへの普及。

 ここまでを簡単に語った後で、いよいよビッグウェーヴ・ライディングの歴史が幕を開けるのです。最初に登場するのはグレッグ・ノール。メインランドからハワイにやってきて、ノースショアのポイントを開拓していった、第一世代のビッグウェーヴァーですね。彼の回想を中心にして、ノースショアがビッグウェーヴ・ライディングのメッカとなっていったプロセス、その中でも別格のポイントとしてワイメア・ベイが注目を集めていったこと等が語られます。もちろん、ワイメア・ベイの巨大な波の映像もガンガン登場します。

 ワイメア・ベイを中心としたビッグウェーヴ・ライディングが最も栄えたのは、60年代でした。映画では直接語られてはいませんでしたけれども、私が見ていて思ったのは、モータリゼーションがサーフィン文化に大きな影響を与えたんだなということですね。というのは、「EDDIE WOULD GO」によれば、エディがノースショアに通い始めた頃は、ようやく車でノースショアに日帰り出来るようになった時代であり、エディのような貧困層の若者もポンコツをなんとか手に入れて走り回れるようになった時代でもあったからです。

 ノースショアに行くには、歩いていくか車を使うかカヌーで行くかしかありませんし、60年代のビッグウェーヴ・ライディングを支えた大型のサーフボード「GUN」を持って行くとなると、事実上、車以外の選択肢はありません。

 さて、そんなこんなでグレッグ・ノール、リッキー・グリッグ、フレッド・ファン・ダイク、ホセ・エンジェル(スパニッシュ系の名前なんでアンヘルかと思っていたら、映画ではみんなエンジェルと発音していました)らがノースショアのビッグウェーヴ・ライディングの中心となり、ノースショアは大いに栄えました。しかし、70年代に入るとショートボードが登場し、現在のWCTに繋がる、トリッキーなターンを多用するスタイルに人気が移ります。その結果、ビッグウェーヴ・ライディングの人気は下火となり、ノースショアの中心はワイメア・ベイからパイプラインやサンセット・ビーチに移っていく・・・。

 ここでノースショア編は終了です。後日談として、80年代にバッファロー・ケアウラナらの活動でロングボードも復権し、さらに「THE EDDIE」の開催で、ワイメア・ベイの価値は再び高まったということがちらりと触れられました。

 続いて登場するのは、サン・フランシスコ近郊の「マーヴェリックス」。1970年代半ばに発見されてから、1990年まではたった一人、ジェフ・クラークが乗り続け、1990年にマスメディアが採り上げて一気にブレイクしたという経緯が語られます。波のサイズはワイメア・ベイと同じかそれ以上、さらにヤバい岩場もあり、水温はやたらと低いということで、ワイメア・ベイ以上にハードなポイントとして注目を集めたのだそうです。

 ここで面白かったのは、マーヴェリックスのビッグウェーヴァーがラインナップの位置決めをするときに、必ず3カ所の山アテを使い、そのうち2カ所は90度に直交する山アテだという話。人間の考えることはどこでも同じというのか、似たような環境なら導き出される答えも似てくるというのか。

 しかし、物語はビッグウェーヴ・ライディングの影の側面にカメラを向けていきます。ノースショアを代表するビッグウェーヴァーであったマーク・フォーは、マーヴェリックスにやってきたその日、ワイプアウトしたまま溺死してしまったのです。

 それでも乗る。ビッグウェーヴァーたちの顔つきは、だんだん修道士とか千日回峰行者のようになっていきます。ビッグウェーヴァーたちはより過激な大波を求めます。それは安全マージンをどんどん削っていくということです。楽しいだけではとてもじゃないけどやってられない。死を覚悟してテイクオフするんだと、ビッグウェーヴァーたちは口々に語るんです。

 そして物語の大トリとして登場するのが、レイアード・ハミルトンです。メインランドから0歳でハワイに渡ってきた、母子家庭の長男。彼の運命は、ある日、ビーチで出会った若いサーファーによって大きく変わります。その若いサーファー、ビリー・ハミルトンは、既に一流のサーファーとして名声を得ていましたが、幼いレイアードを一目見て気に入ってしまい、その日のうちにレイアードの母に会って、恋に落ちるのです。一流サーファーの息子として順調に腕を上げていったレイアードは、やがて、パドリングでは不可能な程に巨大な波に乗るため、仲間たちとともにトウ・イン・サーフィンを発明してしまいます。

 始めはノースショアのアウター・リーフでゾディアック引きのトウ・インをやっていたレイアードでしたが、いつしか動力源はジェットスキーに変わり、マウイ沖のあの化け物波、「ジョーズ」に挑むようになるのです。

 この辺りから、画面に映し出される波は、私たちが持っている「波」の概念を超えたものになっていきます。いや、ワイメア・ベイやマーヴェリックスも充分桁外れなんですが、「ジョーズ」はちょっと・・・・。フェイスで軽く5階立てのマンションくらいはある水の壁、下手したら10階立てくらいあるかもしれません。そういうのって、波と呼んで良いんでしょうか? そういうものの表面を、何か人間のようなものが、サーフボードらしき板きれに乗って滑り降りている。その先には、おろし金みたいなゴツゴツの岩場ですよ。そこに、ワイプアウトしてジェットスキーごと突っ込んでいったりする。

 あほかいな。あほを超えている。何故そこまでやる? 死にたいのか? もう死んでるんだけど、自分で気づいていないだけじゃないのか? 

 色々な言葉が頭の中を回ります。

 これはもう、スポーツじゃないです。だって体に悪いもん明らかに。何かもっと別のもの。宗教的行為。だってあんなことする合理的理由が無いんだもん。

 ここまで見て、やっと私は「EDDIE WOULD GO」の中で語られていた「ビッグウェーヴ・ライディングはスピリチュアルな行為である」という言葉の意味が腑に落ちました。スピリチュアルなビッグウェーヴァーであったエディが、スポーツとしてのサーフィンにアジャストしきれなくて苦しんだというのも、わかるような気がします。

 映画の最後はタヒチのチョープーです。WCTでも一つのハイライトである、あの規格外チューブ。レイアードは、ここでもやはりトウ・インで波に挑むのですが、その中の一本が・・・・・・。すいません、言葉になりません。WCTのタヒチ・ラウンドの映像では見たことがないような、何かよくわからない凄い水が巻いていて、その中にレイアードが突っ込んでいって、最後にはホワイトウォーターの中から出てくるわけですが・・・・。

 これはもう、実際に見ていただくしかないですね。あれは、人間がこれまで波について語ってきた言葉の範囲の外にあるものです。波以外の何か。波を越えた何か。人智を超えた何か。

 波の神。

 神に乗った男と呼んで問題無いと思います。レイアード・ハミルトン。どこかで引き返しなさいよ。人間は神にはなれませんから。