さらに続き

 一方、クライド は、ホクレア号の華々しい活躍を見聞きする度に、未完に終わったエディの航海を思った。
 ついにエディの遺体は発見されなかった。だからクライドには、エディの魂がいまだに海に出たままであるように感じられた。
 そして一九九五年、ポリネシア航海協会は、ポリネシア各地で建造された航海カヌーを集め、マルケサス諸島からハワイまでともに航海するという計画を実行に移すことになる。エディの死からは既に長い時間が過ぎ去っていたが、この間も常にエディのことが胸の中にあったナイノアは、クライドをホクレア号での航海に招待し、エディの魂を慰めようと考えた。

 この時アイカウ家の六人の兄弟姉妹の中で残っていたのは、クライドの他にはもはやマイラとソルだけであった。マイラはエディの残した家に住み続け、ホノルル市および郡の海洋レクリエーションの専門家として働いていた。一方、ソルはビッグアイランドに渡り、馬産の牧場を経営していた。
 かつてアイカウ一家が暮らした墓地で執り行われたホオポノポノ において、クライドが航海に参加するべきか否かが話し合われた。航海カヌーは既に彼らの兄弟の命を奪っており、再び航海カヌーに兄弟の命を奪われることは、あってはならなかった。
 クライド自身もまた、悩んでいた。というのも、クライドの人生は、あたかもエディの辿った人生を彷彿とさせるものだったからだ。

 エディの死は、クライドを深く傷つけていた。エディがついにジェラルド の死から立ち直れなかったように、エディの死からクライドもまた立ち直れないままだった。
 「俺とエディはやることなすこと、全て同じだった。一緒にサーフィンをして、一緒にパーティに行って、一緒に女の子を追いかけて、一緒にサンセット・ポイントで歌を歌った。何でも一緒だった。だからエディが死んだ時、俺は独りぼっちになってしまった。これからは自分一人で家族を守っていかなければいけないと思った。エディが居なくなってしまったから、俺はエディの分まで頑張らなきゃいけなかった。大変だったよ。だって俺はエディを神様みたいに崇拝してたからね。エディは俺の兄弟だったんだけど、でも俺はエディを単なる人間を越えた存在だと感じていた。直接エディにそう言ったことは無かったけど、エディも俺の考えを知っていたと思う。」

 エディの死はアイカウ家にとって、終わりの始まりだった。
 エディの死に続いて、次々にアイカウ家を死が訪れた。マイラは、自分たちがまるで聖書に出てくるヨブの一家になったように感じていたという。何故このように過酷な運命がアイカウ家を襲い続けるのか、マイラには全くわからなかった。一方、クライドはこれを、エディが生きていた時代の栄光の反動だったと考えた。
 ジェラルドに続きエディを失った母モンマは、次第に体調を崩していった。長い闘病の後、モンマは一九八二年に腎不全でこの世を去っていた。長兄のフレディは癌に倒れ、その二年後には父ポップスもまた、妻の後を追うように腎不全で亡くなっていた。
 しかしポップスは、死の間際、最後に残った三人の子供たちを枕元に集め、エディが残したものを守り育てよと言い残していた。

 クライドは、エディの魂をアイカウ・ファミリーのもとに連れ帰らない限り、自分が癒されることは永遠に無いだろうと感じた。結局、長い逡巡の後にクライドはナイノアの誘いを受け、マルケサス諸島からハワイまでホクレア号で航海する事を決めた。
「あれは、エディの旅を終わらせる為の航海だったんだ。」
とクライドは言う。
「エディはついにホクレアでの旅を終えることが出来なかった。だから俺はエディの遺志を引き継いで、ホクレア号に乗った。エディの旅を終わらせる為にね。」

 ホクレア号に乗り込む為、クライドはマルケサス諸島のヌク・ヒヴァへと向かった。そこでクライドは、ポリネシアの各地から集まってきた航海カヌーの乗組員たちに合流した。
 さて、いよいよ明日はハワイに向かって出航するという夜、全ての航海カヌーの乗組員が一同に会してミーティングを行った。
 「出航の直前、俺たちはホオポノポノみたいにして、話し合った。色々な島からやってきた奴らが、みんな順番に何かを話したのさ。その時の俺は、特別に招待されてホクレア号に乗ることになっていたから 、何で俺がそこに居るのかを説明しなくちゃいけなかった。最後に俺は促されて立ち上がった。そうしたら、突然涙が次から次へと溢れてきて、一言も喋れなくなっちまったんだ。俺はただひたすら泣き続けていた。十分間くらいそうしていたよ。それからようやく、俺が何故ホクレア号に乗るのか、エディ・アイカウがどんな人間だったのかを話すことができた。」
 そうやってクライドは、ポリネシア中から集まった、様々な刺青を身にまとう精悍な船乗りたちの前で、何故この航海が彼と彼の家族にとって重要なのかを語った。
「エディの航海は終わっていない。だからそれを終わらせる為に、俺は来た。」
そしてクライドは付け加えた。
「俺はずっと傷ついていた。傷ついていたんだよ。みんな、わかるだろ? それで、こんな遠くまで来たんだ。それだけ、この航海は俺にとって重いものなんだよ。」

 その夜、クライドとモアナ・ドイは不思議な経験をした。これについて、クライドは興奮を抑えられない面もちで語った。
「俺と彼女は同じ部屋に寝ていた。それで、彼女がふと目を覚ますと、誰かが俺のベッドの脇に座って俺を見つめていたんだそうだ。俺のことを心配するようにしてね。エディさ。わざわざエディがあんな遠くまで来て、教えてくれたんだ。お前は航海に出て良いんだよってね。俺はびっくりしたよ。」

 モアナとは、ハワイの言葉で海を意味する。海、という名前を持つ彼女は、その時のことを次のように語ってくれた。彼女によれば、エディはクライドの旅立ちを祝福しているようだったという。
「夜中、ふっと目が覚めると、私のベッドとクライドのベッドの間にある椅子に、誰かが座っていたんです。その人は長髪で、バンダナを頭に巻いていました 。私から見えたのはその人の背中だけでした。その人はクライドの寝顔を覗き込んでいました。私は怖くありませんでした。私は、エディが弟を心配して駆けつけたんだと思いました。だから私は安心して、再び眠りに落ちました。」
 これが夢だったのか、それとも先住ハワイ人が言うところの「イケ・パパルア(霊視)」なのかはわからない。エディは何を告げる為に現れたのだろうか。霊能者のE.W.ハーティングは、著書『Nana I Ke Kumu(Look to the source)』の中で、先住ハワイ人は自らの無意識に非常に親しんでいると指摘している。あるいは、要するにイズラエル・カマカヴィオレ が言うように「自分たち(先住ハワイ人)は、世界の向こう側とこちら側の両方に住んでいるんだ。」という事なのかもしれない。

 翌朝モアナが昨晩の出来事を伝えると、クライドは大喜びして、エディの遺志を完遂するという考えをいよいよ強くした。
「考えてみれば不思議な話だけど、クライドは凄く喜んでいたわ。そして、一刻も早くその話を家族に伝えようとしていました。そうやって全てがホクレア号の航海に繋がっていったんです。ホクレア号は非常に強いマナを持っています。ホクレア号に関わった人全ての願いや力、魂が、あの船に宿っていくんです。」

 ホクレア号は、ハワイを目指す他の全ての航海カヌーたちを見守るかのように、船団の最後尾を走っていった。クライドは言う。
「ホクレア号は、まるで羊の群を見守っている牧羊犬みたいなものだったよ。」
 そのクライドが最も興奮したのは、ホクレア号に乗って波を次々に越えていった時だった。
「要するにバカでかいサーフボードで波に乗っているようなものだからね。そりゃあ面白かったよ。大波に乗って一気にドロップしていく瞬間 を思い出したな。」
 そうこうするうちに、およそ一ヶ月が過ぎ、ある朝クライドはクルーの叫び声を耳にした。クルーが指さす先には、マウナ・ケアの雄大な山塊が聳えていた。それからしばらくすると、ハワイの島々が次々に水平線から姿を現した。自分の遠い祖先が初めてハワイに辿り着いた時も、彼らはこんな気持ちになったんだろう。クライドはそう感じながら、故郷の美しい島々を見つめた。そしてクライドは海に目をやり、エディのことを想った。ホクレア号がホノルル港に碇を降ろした時、クライドは、自分たちのついに旅が終わった事を知った。
「やっとエディを家に連れ帰ったような気がしたよ。」

 エディがホクレア号の誕生を見届けてから四半世紀が過ぎた。
 二〇〇〇年、ポリネシア航海協会はホクレア号の進水二十五周年を祝う式典を執り行った。この式典はエディ・アイカウに捧げられていた。
 二〇〇〇年三月十二日、日曜日。ホクレア号は生誕の地クアロア湾へと向かった。ポリネシアだけではなく、太平洋全域から集まった人々と、もちろん何千人ものハワイの住人がこれを出迎えた。エディの最も親しかった友人たち、家族、そしてエディの妻であったリンダとその養女ミリンダ、ソルの妻であったリッキイと娘ピイラニ、ビッグ・ビル・ピアース、デヴィッド・ベッテンコートなどもまた、その人々の中にあった。
 ホクレア号の上には、一九七八年の遭難以来初めてこれに乗るデイヴ・ライマン、ナイノア、マイラ・アイカウ、ソル・アイカウ、そして、長年に渡ってホクレア号を支えてきた歴戦のクルーたちの姿があった。この時ホクレア号が航海したのは、オアフ島のおよそ半周に過ぎなかったが、それはまた、過去の傷を癒すための、遙かな航海でもあった。
 彼らはホクレア号のデッキから、鋸のように切り立った崖を見た。緑の木々が生い茂る海岸があり、そして人々が集まっていた。ホクレア号がハワイの岸辺に近づいていくその光景は、遠い昔に、この島に辿り着いた彼らの祖先たちの姿を垣間見るようなものであった。

 今もなお先住ハワイ人の聖地とされているクアロア湾の、原始のままの海岸にホクレア号が到着すると、ハワイ中から集まってきたフラのグループが、フラ・カヒコ でこれを迎えた。もの悲しくも美しいプの音色が人々を包み、海の上に広がっていった。また、太平洋中の島々からやってきた人々の代表が、それぞれの伝統的な礼装に身を包み、同じココヤシの殻からアワ を啜った。様々な刺青で体を飾った猛々しいマオリの船乗りたちは、マオリの伝統的な挨拶で、ハワイの同胞を祝福した。額と鼻をくっつけ、同じ空気を呼吸するというこの挨拶は、双方の間の平和を寿ぐものだった。
 やがて、この儀式の為に新しく作られたチャントが披露された。

 下帯とチの葉で編み上げたレイを身にまとったチャンターは、ホクレア号がいかにして、ハワイに初めてやってきた人々から続く遠い歴史を受け継いで来たのかを語った。そして彼は、一九七六年から今日までにホクレア号が踏破してきた、九万マイル(およそ十四万四千キロメートル)もの旅路を語った。
 九万マイル、それは地球を四周しても、なお届かないほどの距離である。
 そのようにして過去と現在を一つのチャントの中に編み込みながら、チャンターはエディ・アイカウの死について語り、エディのマナが今もなおホクレア号とともに旅を続けている事を語ったのだった。

 こうしてエディの記憶は、ホクレア号を導き続けている。あたかも、夜の海にたった一つ浮かんでまたたいている浮標のように。
 人々は今もなお、ホクレア号の中にエディの鼓動を聞く。

(pp246-254.)