当たり前だの・・・・・やめた。

 West2723さんご推薦のローカルテレビ番組「湘南」を見ましたよ。今回のゲストは小峯力さん。日本ライフセービング協会理事長という偉い方なのですが、テレビで観る限りはただの格好いいオヤジです。

 トークの内容はもちろんライフセービングという営みについて。小峯さんはオーストラリアのようなライフセービングの先進国の例を引きながら、ライフセーバーという存在が何故重要なのかをわかりやすく説明しておられました。小峯さんによれば、陸上なら警察がいるし、海上なら沿岸警備隊がいるけれども、陸と海の境界であるビーチでは警察も沿岸警備隊もその能力を完全には発揮できないんだと。だから、ビーチの安全を守るにはビーチの専門家であるライフセーバーが必要である。説得力がありますね。ハワイやオーストラリアではライフセーバーは公務員ですが、日本も出来ればそうなって欲しいものです。

 それともう一つ。こちらの話には特に唸らされたんですが、ライフセーバーの世界では、ビーチフラッグスなどの競技がいくら強くても、それだけでは尊敬されないのだそうです。ビーチフラッグスなどの競技はあくまでも現実に人の命を守る為の自己修練として行うものであって、そこを忘れている人間は相手にされないんだとか。

 また、溺れている人を救助する場合にも、ライフセーバーは「大丈夫か?」ではなくて、「大丈夫だ!」と声をかけるのだと。絶対に助けるから安心しろとまず宣言する。

 こういう人々のことを、日本語では一般的に「崇高な」と表現するのではなかったでしょうか。まいっちゃいますよ。ほんとに。

 私は、小峯さんのお話とエディ・アイカウの生涯に相通ずるものを感じました。もちろん小峯さんもエディもライフセーバーなわけで、根底に同じ精神があるのは当たり前田の・・・・・やめた。てなもんや三度笠で遊んでいる場合じゃないよな。

 ともかく、ライフセービングの精神ですよ。
 ライフセービングの精神が、ライフセーバーの世界だけに留まらずに私たちの心を強く打つのは、そこに何か普遍的なものがあるからだと思います。困っている人、苦しんでいる人は助けるべきであるということ。そんなの当たり前だのクラッカ・・・・いやいや、それがですね、人によっては、そう考えていなかったりするんですわ。

 というのは、「人間の価値観や信条は全て生まれた後に後天的に植え付けられたもので、人間が生まれつき持っている本質的なものなんかない」という考え方も、人文科学の世界ではそれなりに力を持っているからです*。この考え方は、そもそもは人種とか民族とか性別とか出身階級による差別を批判するために出てきたもので、ですからそういう局面ではそれなりに役に立った考え方なんですが・・・・・何事も長く続くと利権化するんですなあ。
 
 要するに、差別を批判することそのものが商売になるようになった。
 例えば女性差別を批判するフェミニズムが、そのうち大学の講義科目になって、フェミニズムを教える商売というものが成立する。そうすると、今度は「自分の商売を続ける為に敵を作り続ける」という本末転倒なことが始まります。本当は取り立ててどうこう言うほど「女性差別的」ではないものを、ことさらに「女性差別的」と騒ぎ立てて問題視する。その時に便利に使われたのが、「人間の価値観や信条は全て生まれた後に後天的に植え付けられたもので、人間が生まれつき持っている本質的なものなんかない」という考え方なんですね。女性らしさ、男性らしさは遺伝子によっては一切決まらないと彼らは主張した。遺伝子のせいじゃないとしたら、社会のせいということになるから、便利なんです。遺伝子は批判出来ないけど社会なら批判できるからね。

 そういうことを続けた結果、今度はそれに逆ギレする集団が出てきて、ご存じの「ジェンダー・フリー叩き」が始まったわけです。

 私は産業フェミニズム(上野千鶴子や遙洋子、田嶋陽子)は調子に乗ってやりすぎたと思う。逆に昨今のアンチ・ジェンダー・フリーの人たち(石原慎太郎や米長邦雄)も冷静さを完全に失っていると思います。どちらにしろ、迷惑な話です。より多様な生き方を可能にするという意味で、社会的な性別と生物学的な性別をイコールにしない方が良いとは思いますが、それは目を三角にしてやったり阻止したりするようなものではないですよ。

 そんな時にライフセービングの精神を見ると、これは良いよなあ、大事だよなあ、と痛感するんです私。

 ひとつには、ライフセービングの精神は明らかに人間の本性、すなわち「困っている人を助けるのに理由は要らない」という情動に根ざしているから。人間には生まれつき備わったものの感じ方が確かにあることを、ライフセービングの精神は教えてくれています。

 と同時に、クライド・アイカウがエディの精神を「エディが教えてくれたのは、他人の為に死ねということじゃない。周囲のものに優しくあれということなんだ。」と簡潔に表現したように、ライフセービングの精神は「寛容であること」の大切さをも思い出させてくれるんです。

 産業フェミニズムやアンチ・ジェンダー・フリーに欠けているのは「寛容の精神」だと私は思います。いや、それだけじゃないですね。昨今のギスギスした世の中には、全般に「寛容の精神」が足りないと思う。たしかに寛容だけでは世の中は渡っていけないけれど、自分に余裕がある時は寛容になったって良いじゃないですか。生きようとしているものが生きるのを手助けした方が気分いいじゃないですか。

 つまり、一言で言えば、私たちはライフセービングの精神から、いくつかの大切なことを学びうるということ。

 それで、私は思うんですよ。ホクレア号が日本に来るのは、またしても先になりましたが、ホクレア号が日本に来た時こそ、ライフセービングの精神に広く注目を集めるまたとないチャンスだと。だって、ホクレア号を導いているのは、伝説のライフセーバーの魂なんですからね。

 ところで小峯さん、流通経済大社会学部助教授という、バリバリの学者さんでもあるみたいです。文武両道って感じで超カッチョいい! 

* 「社会構築主義」と言います。