入谷拓哉さんのウェブログに、「バッファロー・ビッグボード・サーフィン・クラシック・イン・ジャパン」の告知が出ていました。
バッファローというのは、バッファロー・ケアウラナさんというレジェンド・サーファーのことです。この方はロングボードの中興の祖として知られておりまして、おっと、ロングボードというのは、要するに長いサーフボードのことです。サーフィンの歴史は古代のハワイに始まると言われていますが、もともとはごっつい木製の板で波に乗る遊びでした。それが素材が化学合成樹脂になったり、形が色々改良されたりと発展を遂げてきたのですが、その発展の歴史の中で生まれた一つのスタイルが「ロングボード」です。ちなみに現在の競技サーフィンの主流はショートボードと呼ばれる、より短い板を使って、ダイナミックでアクロバティックな動きを繰り返すもの。
一方、1980年代以降のロングボードの再評価の中心になったのが、バッファロー・ケアウラナさんでした。彼の考案した「バッファロー・スタイル」というサーフィンの技術(ロングボードの上で色々なポーズを決めるという遊び方)もまた有名です。
さて。ところでバッファローさんといえば、1976年のホクレア号の記念すべき第一回タヒチ航海往路のクルーだったことでも有名。そして、船の上で乱闘騒ぎを起こしてマウ・ピアイルック師を激怒させたことでも有名です。いつまで経っても邦訳の出る気配が無い(どうしちゃったんでしょうね?)「EDDIE WOULD GO」から、乱闘のシーンを抜き出してみましょうか。
「船上の緊張は、航海が進むにつれて高まっていった。特に赤道無風帯に差し掛かってホクレアが獰猛な日差しの下、何日間も漂い始めると、俄に不穏な空気が増していった。そして航海が終わりに近づいた頃、それは一気に爆発したのである。何人かの先住ハワイ人系のクルーが、ハオレ(白人)のリーダーたちを激しく非難した。ハオレは俺たちに指図するなというのが、その主張だった。反乱を起こした水兵たちのように、彼らは船長のエリア・“カウィカ”・カパフレフアとベン・フィニー博士と対立していった。彼らはホクレアの右舷の手すりに二人を追い詰め、不平不満を並べ始めたのである。この言い争いは、最終的には殴り合いに発展した。突然、巨漢のライフガードであるバッファロー・ケアウラナが理性を失って船長に殴りかかった。続いて彼はベン・フィニーに飛びかかり、殴打した。デイヴ・ライマンは、バッファローを引き離そうとした。ついにホクレアの影の指導者だったマウが進み出て、断固とした表情で命令した。『バフ、止めろ!』。乱闘は始まった時と同様、唐突に終わった。その後、バッファローは黙ってベン・フィニーに手を差し出し、謝罪した。彼が後悔しているのは明らかだった。後にデイヴ・ライマンが語ったところでは、この時のバッファローは足に出来た腫れ物の痛みに悩まされ続けていたので、つい暴走してしまったのだろうということである。しかし、この乱闘騒ぎの残した傷痕は深かった。それが癒されるまでには、長い長い時間を要したのである。」(原著178-179ページ)
要するに、この時の乱闘がきっかけでマウ師はタヒチからサタワル島に帰ってしまい、ベン・フィニーやエリア・“カウィカ”・カパフレフアらがホクレアから手を引いた結果、1978年の遭難とエディの死が引き起こされた、と著者は言いたいわけです。そしてその傷痕が癒されるには、ナイノア・トンプソンがサイパンまで行ってマウに弟子入りし、再びのタヒチ航海をやり遂げる必要があったと。
今となっては、もはやこれらは歴史あるいは神話の一部となっていますけどね。この時、バッファローさんが暴走しなかったら、歴史はどう動いていたのか。きっとエディはホクレアで死ぬことは無かったでしょうが、エディのあのような神話的な死こそが、現在のホクレアの原点とも言えるわけです。私はエディの死に、イエス・キリストの死に近いものを感じています。
イエスもまた若くして刑死した人物です。四大福音書の内容から判断する限り、彼はエルサレムに行けば殺されることを知っていて、敢えてエルサレムに向かったとしか思えません。そして彼はゴルゴタの丘で十字架にかけられた。この極めて象徴的な死に様が無ければ、キリスト教の大発展は無かったはずです。実際、近年になって発見・解読された「ユダの福音書」では、イエスは密かに、ユダヤ教の祭祀長たちに自分を売るよう、ユダに依頼したとされています。この解釈を採れば、イエスはまさに「神話的に死ぬ為に」エルサレムに向かったということになる。
同様に、エディの死もまた、結果的には、その後の航海カヌー文化復興運動の大発展をもたらす為の神話となったのではないでしょうか。
実はエディとバッファローさんの間には、こんなエピソードもあります。エディがホクレアに乗って、二度と戻ることのない航海に出る6日前、わざわざエディはマカハ・ビーチに出かけてバッファローさんに会いました。バッファローさんと一緒にエディに会ったのは、やはり1976年の往路でホクレアに乗っていたブギー・カラマさんです。エディは彼らに会って、こう言いました。「俺は出航する前に、どうしてもあんたたちに会わなきゃいけないと思ったんだ。」それに答えてブギーさんは、強くあれというアドバイスをエディに贈ります。「船長の命令には絶対に従うんだ」と。
この時のエディは、航海への怖れを抱いていたのではないかとバッファローさんは回想しています。そしてバッファローさんはエディに言います。もしも行きたく無いのなら、無理にホクレアに乗る必要は無いんだと。しかし、それでも自分は行くのだとエディが答えると、バッファローさんは「大丈夫だ。俺がついている。」と言ってエディを送り出します。
このシーンもまた、私にはイエスの死を連想させます。マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書では、イエスはユダに売られる直前、エルサレム市外のオリーブ山に上って神に祈りを捧げるのですが、この時のイエスは苦悶しており、「父よ、できることならばこの杯を私から取り除けてください」と言ったとされています。普通に考えれば、イエスはこれから自分に起こることを知っていて、出来ればそれを避けたい、死にたくないと言っているのです。しかし彼は死の恐怖を乗り越えてエルサレムに向かったわけです。そしてエディもまた。