『人類がたどってきた道』

 今日は本の紹介です。ちょっと前の記事でも触れましたが、国立科学博物館の新館地下2階の展示を仕切られた海部陽介さんが、その経験を踏まえて書かれた『人類がたどってきた道:"文化の多様化"の起源を探る』(NHKブックス・2005年)。

 この本では、最新の研究成果をもとにして、現在の人類がどのように進化し、どのようにして世界中に広がっていったかが解説されています。要するに科学博物館の展示の詳細な解説書みたいなもんですね。原人、旧人から新人への進化についても、私が学校で習った複数の地域での並行進化(例えばアジア人はジャワ原人やペキン原人の末裔であり、ヨーロッパ人はネアンデルタール人からクロマニヨン人になってヨーロッパ人になったという考え方:多地域進化説)が何故否定されるようになったのかとか、現在最も可能性が高いとされているアフリカ起源説(アフリカを出発した新人がそれまでに世界に広まっていた旧人や原人をおしのけて全世界に広まったという考え方)は何故説得力があるのかというあたりを、懇切丁寧に教えてくれる本ですね。

 面白かったのは、ヨーロッパでのネアンデルタール人からクロマニヨン人への交替の話。海部さんによれば、アフリカ起源説が広まると、ネアンデルタール人の能力を低く見積もろうという態度が広まったのだそうですが、その後の研究で、ネアンデルタール人とクロマニヨン人のコミュニティが同時期に同じ地域に存在して、お互いが影響を受けあっていた可能性が浮上してきたというお話。海部さんによれば、それどころか、ホモ・サピエンスが世界拡散のプロセスの中で、先住民である旧人たちと通婚していた可能性も否定出来ないんだそうです。

 もちろん、タイトルそして科学博物館の展示から期待できる通り、この本の後半では、リモート・オセアニアへの人類拡散のお話も出て参ります。科学博物館にある巨大な航海カヌー模型のカラー写真も出てくるし、ホクレア号の話も出てくる。

 沢山勉強したことをあれもこれもと詰め込んだせいか、ちょっと文体が硬くなっていて、普段から固い本を読み慣れていない人には少しつらいかもしれません。それと海部さんは理系の学者さんなのでしょうがないとは思いますが、「芸術」とか「美」という概念が、現在の美学や芸術学の議論の水準に較べるとかなり安直に用いられている印象があります。これ、普通なら「しょうがない」で流すのですけれども、この本の場合は、「芸術」的な出土物の登場をもって人類のシンボル操作能力の証拠として、このシンボル操作能力こそがホモ・サピエンスの世界拡散の最大最強の武器になったという論の流れになっているので、いかんせん突っ込みの足り無さが目立っているんですね。

 私自身は、海部さんの唱える「知の遺産」仮説に基本的に賛成ですし、出土物に装飾が施されていたり、あるいは身体装飾具が作られたりしていることをもって「シンボル操作能力」の証拠と見る考え方も間違っていないと思います。ですが、そこで「芸術」とか「音楽」という、その定義自体が極めて難しくて議論が絶えない概念を出してくる必要は無かったと思います。そのせいで、むしろ話がわかりにくくなってしまっている。そこだけはこの本の瑕疵として指摘できます。

 とはいっても、全体として言えば極めて良い本だと思いますよ。腰を据えて挑戦するだけの価値がある本です。1200円と安いしね。