NHKの世界遺産番組、ラパ・ヌイ編はいきなり冒頭から航行中のホクレア号が出てきましたねえ。帆型(あまり上辺のエグレが無いクラブクロウ・セイル+ジブ)から見て1990年代以降の画像でした。ラパ・ヌイ往還航海(1999年)の画像かどうかはわかりません。
初めて見た方もおられるかもしれませんが、夕陽に向かって大海原を進むあの独特の二枚のカニ爪帆。あれがホクレア号です。
それと、もう一つ。モアイの石材運搬について、猪熊兼勝さん(京都橘大教授・・・昔は女子大だったよね?)が「大王のひつぎ」実験航海の阿蘇ピンク石石棺輸送に言及しながら、「ポリネシア人の航海能力なら海上輸送も出来たのではないか」と指摘しておりました。
面白かったのは、ラパ・ヌイの森林資源の枯渇はおそらくカヌー用の材として乱獲してしまったかだろうという指摘ですね。たしかに何十年も実用できるような耐久性は無いでしょうから、増え続ける人口を支える為の漁業用カヌーとしてどんどん木を使ってしまったのかもしれないですね。
そして資源の枯渇。
えっ? と思うかもしれませんが、前近代の社会では資源を完全に枯渇するまで使い尽くしてしまう事例が少なくありません(近代や現代もあまり変わらないですがね)。アオテアロアでもポリネシア人入植とともにどんどん生態系が変化していった事が知られています。もちろん、ハワイで海洋資源管理がカプ(タブー)を用いて厳重に行われていたというような例もありますが。
前近代の社会がエコロジカルというのは、ですからあまり正しくないイメージなんですね。現代の視点から見れば、モノは徹底的に使い尽くす。半端に使って捨てない。そういう意味ではエコロジカルかもしれませんが、サスティナブル(持続可能である、つまり資源の回復力の範囲内でやりくりする)かどうかは場合によります。
偶然、社会のありようがサスティナブルな状態でバランスしているという事はもちろんあります。ですが、そこに何らかの外的な要因、例えば戦争、気候変動、人口爆発などが入ってくれば、バランスが崩れてしまう。資源は食い尽くされ、社会は滅びてしまう。
ラパ・ヌイは幸運にも最後の最後で踏みとどまり、辛うじて滅亡は逃れたようですが、一線を踏み越えてしまった社会もポリネシアには存在しました。
一般的には「ミステリー・アイランズ」と呼ばれています。かつてポリネシア人が入植したにも関わらず、放棄されたのか滅亡したのか、発見された時には無人島だった島々の事です。資源を食い尽くして撤退したのか、あるいは撤退も叶わず(航海カヌーが無ければ撤退は出来ないですし、航海カヌーを建造するには豊かな森林資源が必要ですから)滅亡したのか。
社会は滅亡する事もあるんですよ。
地球もまた一つの島でありカヌーである。航海カヌー文化復興運動の担い手は時にこのような喩えを用いますが、この星から余所の星に撤退できる航海カヌーは今のところ存在していません。としたら、地球をミステリー・プラネットにしてしまわない為には、もっと慎み深く生きる道を探った方が良いのでしょうねえ。