ラパ・ヌイのランドフォール

 今日の講義ではジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』のラパ・ヌイ(イースター島)の章を読みました。この章にはホクレアが1999年にラパ・ヌイに到達した話も軽くですが出てきます。そこで、チャド・バイバイヤン船長が書かれた航海日誌のラパ・ヌイのランドフォールの部分をざっと翻訳して、学生に渡してみました。30分くらいでざっと訳したものなので、訳文の出来はそれなりなのですが、とりあえず貼ってみます。

 このレグではナイノア氏が船長を務めていたようで、更にブルース・ブランケンフェルド船長もクルーとして搭乗しておられました。タヴァ・タウプさんの名前も見えます。エース級のウェイファインダーが3人も乗っていたというのは、やはり万が一にもラパ・ヌイ発見失敗は許されないということだったのでしょうか。

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10月8日 頭上の太陽を覆い隠していた雲が切れ、我々の前方に広がる暗い水平線の一角に、日差しが洪水のように差し込んだ。冷たい風が我々の顔を突き刺すように吹き荒れた、長い夜が明けた。私は、この早朝にデッキ上に居たクルーの顔を見回した。彼らの赤い目が、その疲労の深さを物語っていた。私とナイノア(トンプソン)とブルース(ブランケンフェルド)は昨日の日没後に話し合い、我々の船位が「箱(ラパ・ヌイの周囲に設定された矩形の海域)」の中にあることを確認していた。これからの24時間がランドフォール には決定的に重要な時間帯だという認識で、我々は一致していた。

ブルースは今、マックス(ヤラワマイ)とともに船首に陣取っていた。ナイノアと私は船尾である。私たちは水平線を幾つかに区切り、それぞれの担当の区画に、私たちの目を逃れ続けている島の気配を探っていた。と、ブルースが私とナイノアに合図を送ってきた。私たちは船首に向かった。マックスが腕を目一杯伸ばして、灰色の雲の下の薄く黒い線を指さしていた。水平線の中でこの部分だけ、色が変化していたのである。この光は雲を突き抜け、空の裂け目を押し広げつつあった。私たち全員が、水平線上の暗い線を見つめた。私とナイノアは船尾に引き返し、後方に広がる海を探査した。目指す島が私たちの後方には存在しないという確信を得る為である。やがてマックスが再び私たちに合図を寄越し、前に来るように促した。ナイノアはより遠方まで見渡す為、マストに上った。

デッキ上のただならぬ気配を感じ取ったクルーたちが、寝床から次々に這い出して来ていた。クルーの全員がホクレアの手すりの上に立っていた。私は友人のタヴァ・タウプに、水平線上の暗い影を指さして見せた。彼はそちらを確認してから、笑顔で私の方を振り向いた。太陽がその高さを増すに従い、暗い影は大きくなっていった。私たちはホクレアを全速力で走らせていた。風と波は、昇る太陽に呼応するかのようにして、収まっていった。今や私たちの眼前には、くっきりとした島影が見えていた。海中から鋭く聳え立つ崖、そしてその背後には、優美な線を描く山の斜面が空へと向かって伸びていた。

私たちは殆ど言葉を交わさなかった。クルーは黙ってお互いの肩を抱き合った。ナイノアはなかなかマストから下りて来なかった。ラパ・ヌイのランドフォールの瞬間をじっくりと味わっていたのだろう。私はホクレアの分身とも言える伴走船のカマ・ヘレを呼び出し、お互いの健闘を讃え合った。カマ・ヘレのクルーたちの興奮が、通信機を通しても伝わってきた。

ホクレアの船上の静寂は、既に抱擁と「ハイ・ファイヴ」に取って代わられていた。漸くマストから下りてきたナイノアの顔には、深い満足の笑みがあった。私たちはもう一度、お互いに抱擁を交わし合った。こうした状況がその日は一日中続いた。ホクレアの船尾では航法師たちが、過去24時間の出来事をそれぞれに分析し、話し合っていた。私たちの航法術の基礎となっているのは西洋の科学、マウ・ピアイルク航法師から学んだミクロネシアの伝統的航法術、そして私たちそれぞれがハワイの海で培った個人的な経験の三つである。しかし過去24年間の航海の経験において、私はより深い精神の存在を感じずにはいられなかった。私たちの航法術の核心には、祖先の魂が存在しており、それが私たちをあの数多くのランドフォールへと導いてくれたのである。空が雲に覆われていた昨晩、ホクレアは何度も自ら速度を落とした。もしも私たちがムキになってホクレアを前に進めていたならば、私たちはこのラパ・ヌイという小さな島を呆気なく見過ごしてしまっていただろう。そしてまた、何故、突然に雲が割れて、朝日がこの島に降り注いだのか。私には説明出来ない現象だ。

過去の航海においても、こうした大自然からの「贈り物」が、最高のタイミングで何度も届けられたものだ。ホクレアはマナ(霊的な力)を持っているとナイノアは言う。私もそれに同感だ。ホクレアのマナは、私たちと祖先との深い繋がりに、そして私たちが誇るべき祖先の豊かな航海の歴史に、また外部からもたらされた伝染病によって私たちの祖先が全滅しかけた中でもなお失われなかった、文化と伝統に根差すものだ。このマナが彼女の帆に最善の風を選んで送り込んでいるのだろうし、またホクレアによる探求と発見の持つ力を人々に確信させてもいるのだろう。更に言えば、数多くの支援者のコミュニティが生みだしたマナこそが、彼女の航海を支えているのだと思う。ポリネシアの最後の角にやってきたホクレアは、ここで彼女のマナを新しい家族と分かち合うことになる。私たちと同じ海、同じ文化から生まれた人々と。ホクレアはついに、私たちの故郷である海の三角形を完成させたのだ。太陽は既に空高く昇っている。日差しがラパ・ヌイの島影をくっきりと浮かび上がらせた。それは同時に私の魂を温め、また私の頬に流れた涙を乾かしてゆく。私たちは辿り着いたのだ。