アクセス・ディンギーの体験会を見てきました。江ノ島のマリーナで。
伺った所では、参加したのは白浜養護学校中学部の生徒さんたち。1名以外は初挑戦でみな乗船したそうで、腰越漁港と江ノ島の間をゆらゆらと漂っておりました。この日は知的障害のある子供達の体験会でしたが、アクシデントも無く順調に推移し、子供達もかなり喜んでいましたね。
体験会が終わった後で私も少しだけアクセス・ディンギーに乗せていただきましたが、あれは相当に面白いです。手漕ぎボートと違って、座っている私の腰骨のあたりに喫水線が来ているので、視点が(たぶん)シーカヤックなみに海に近く、しかも動力は風なので体力にハンデのある人でも問題無く楽しめる。ちなみに私はジブ付きの速い方の艇に乗せてもらいました。
私が特に感心したのは、アクセス・ディンギーというツールの、使い手に対する腰の低さですね。例えば手漕ぎボートは、シーカヤックやアウトリガー・カヌーも含めて、ともかく両手がついていてそれが普通に動く人でなければ使えないわけです。乗る事は出来ても、自分の道具としては成立しない。
ハワイには片手を失った有名な女性サーファーがいて、それでも波に乗れているというのは賞賛に値する事だと思いますが(サーフィンは波がやってきたら手でパドリングしてやらないといけませんから、それを片手でやっているのはたしかに凄い)、じゃあ両足が揃っていない人はどうしたら良いのか? ボディボードならなんとかなるか。
近年は障害者スポーツというのも盛んで、パラリンピックに出てくるような方はたしかに文句無しのスーパーアスリートではありますけれども、世の中には生来、体が弱いとか体が思うように動かないという方もおりますし、私のような(とりあえず)健常者にしたところで、体を鍛えたり必死に練習しないと出来ないようなスポーツへの敷居は、一般的に言えば高いですね。
何を言ってやがる、グダグダ言わずに体を鍛えろという意見ももちろんあるでしょうし、世の中、諦めが肝心という言い方もあるでしょう。ですが、そういう求道的なスポーツばっかりというのは、ちょっとつまらないと思うのです。肢体不自由や病弱、盲人。知的障害者。そういった方々だって遊びたいに決まっているし、日本的スポーツ道が生理的に嫌いな奴も居る(私とか)。
アクセス・ディンギーには、そういった、これまでの日本のスポーツ文化ではデフォルトで敗者だった人々を全部受け入れる懐の深さがあるんじゃないかという気がしています。誰でも気軽に*全ての機能を一通り使える。競技じゃないから勝ち負けや上手い下手の区別が紛れ込まない。それでいて色々な応用が利くから、競技も出来るし、もしかしたらエクスカージョンのような使い方も出来るかもしれない。
「兄弟船」と加山雄三という両極だけあって、その間のユルくかつ安上がりな船の文化が無かった日本の海ですが、アクセス・ディンギーはもしかしたら、そんな状況をちょっとかき回してくれるかもしれません。
個人的には、ラテン・セイルじゃなくてクラブクロウ・セイルを装備したアクセス・ディンギーを試してみたいです。
* これまで色々言われてきた「誰でも気軽に出来るスポーツ」という台詞の殆どは健常者の事しか頭になかったという事が、アクセス・ディンギーをいじってみるとよ~くわかります。自転車? 脊椎損傷の人は乗れないでしょ。 ウォーキング? 足がついてなかったら出来ませんわな。
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