火山バカ一代

 ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルで放送されたのを録画しておいた、火山学者のクラフト夫妻の番組を見ました。

 クラフト夫妻はフランス生まれで、旦那さんは子供の時にイタリアで見た生の火山の迫力に魅了されて研究者を志し、奥さんは本や写真だけでやはり火山の虜になって、旦那さんと知り合ったのだそうです。

 とはいっても、このご夫妻はどこかの大学の先生になる道は選ばず、火山研究の傍ら撮りためた火山の動画や写真を売って生計を立てておられたそうです。1年のうち10ヶ月くらいはフィールドワークで世界を駆けめぐっていたそうで、「新しい火山が出来る所なんて5年か6年に1度しか見れないんだからね。」などという、突飛な発言をしておられました。

 普通、火山が出来る所なんか一生見ない人のが多いと思います。

 そのご夫妻の取材活動をさらに取材した番組。制作されたのはきっと1980年代でしょうね。なんとなれば、ご夫妻は1991年に雲仙普賢岳で火砕流に飲み込まれて亡くなられましたから。

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 しかし、その取材活動たるや、20年以上も無事だった方が不思議なくらいの壮絶さです。例えばとある火口湖で、強酸性の水を湛えた中にゴムボートでこぎ出していって、素手で調査器具を水に出し入れするとか(手の皮膚が溶けてました)。転覆即あの世逝きですわね。

 溶岩流をスプーンで掬い取るなんて朝飯前。火山弾がバンバン飛んでくる中、防護服を付けて撮影を続けたり。もう無茶苦茶です。

 そのご夫妻、自宅はフランスのアルザス地方にありましたが、引退したらビッグアイランドに住みたいんだ、とインタビューに答えておられました。私も見覚えのある、ヒロからヴォルケイノへと向かう国道を鼻歌まじりに飛ばして、キラウエア火山の火口でペレ女神にジンを捧げながら、「良い映像が取れたときはお供え物をするんだ。」なんて嘯いてね。

 なんというのでしょうか、最後は火砕流で亡くなられたのですが、もしかしたら、そういう死に方もある意味、納得ずくだったのかもしれないですね。最愛のパートナーと一緒に最愛の火山に抱かれて昇天する。ご夫妻の生涯に相応しい神話的な最後と言うことも出来ます。

 それにしても、ご夫妻が撮った溶岩映像の美しいことといったらどうでしょう。きっとご夫妻はペレ女神に魅入られてしまったのでしょうね。人間が人智を越えたものを前にしたときに感じるあの感情、「崇高」なんて表現しますが、ご夫妻の撮られた画像はまさにペレ女神の崇高な息吹きを伝えています。

 おいおい、ペレ女神はハワイの火山の神様だろって?

 何をおっしゃいますか。溶岩に関する学術用語の基礎語彙はハワイ語なんですよ。溶岩はラヴァLavaといいますが、これもハワイ語。ツナミがヒロの町を壊滅させたチリ地震の津波をきっかけに世界語になったように、ヒロの町を見下ろすキラウエア火山の溶岩に古代ハワイアンが見た神秘が、ラヴァを世界語にしたんですな。

 マルケサス諸島やタヒチから航海カヌーがハワイに向かう時に、まず目指すのはマウナケア山です。古代ポリネシア人も、太平洋のど真ん中に聳えた超巨大火山(海底から測ったら高さ世界最大で、質量も世界最大)に度胆を抜かれたことでしょう。だからペレ女神がハワイ神話で一番強くて怖いんだな。

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キラウエア火山の画像が沢山あるブログはこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/asdhsdasdoas/folder/284312.html