ホンモノの在処

 昨日は「エキゾチック感」なんて話が出ました。

 今日はそこからもうすこし、このウェブログのテーマに引きつけ考えてみましょう。

 実は「エキゾチック感」というのは、「ホンモノ感」と非常に深い関わりがあります。というか殆ど同じものと言っても良い。例えばハウステンボスと本物のアムステルダム旧市街。志摩スペイン村と本物のセビージャ旧市街。常磐ハワイアンセンターと本物のホノルル市。どっちがエキゾチックですか?

 答えは決まってますね。本物の方。だって歴史が違うし、住んでいる奴らだって本物のロコだ。日本語なんか通じないんだ。壁の落書き一つにも本物の深みがあるってね。

 そういう感じ、本物の持つ迫力、ホンモノ感。かつてある賢人はこの感じをアウラと呼びました。aura。エーゴ読みならオーラになるのか。良く言うでしょ。「オーラがある。」なんつって。その賢人ヴァルター・ベンヤミンさんは、続けてこう指摘しました。「でもコピー商品にはアウラが無い。」

 本物の名品、ラファエロの聖母子像でもなんでも良いんですが、そういうものには有無を言わせないド迫力があるんだけど、それを写真に撮って原寸大に引き延ばしてみても、どうにもオーラが感じられない。そうでしょ。ね。だから、大量コピーで出回るようなものは大量コピーならではの面白味を追求していった方が良い。ウォーホルやデュシャンが仕掛けたポップアートがまさにそれですよね。大量生産された工業製品でも、見せ方次第ではちょっと気の利いたネタになる。ま、あくまでもネタですけどね。

 論より証拠、ストップウォッチ持って大きめの美術館に行ってご覧なさい。ポップアートや意味不明の現代アートと、大量複製技術発生以前の1点製作ものの名画と、お客さんがその前に立って鑑賞している時間を比べたら、もう全然違うはずですよ。ポップアートは一瞥したらだいたい終わりだけど、昔の名画はそれこそ1時間2時間眺めている人だって居ます。かく言う私もロンドンのナショナル・ギャラリーでルノアールの名画「傘」を半日ほど飽かず眺めていたこともあります。

 所詮コピーはコピー。コピーに作り手の魂までは写し取れないし、ある土地の風土や歴史に根ざした町並みは、その風土と歴史の中に置いてこそ本物であり、仮に町並みごと根こそぎ移築してみたってダメなんです。日本の風景の中にトスカーナの町並みを再現したって、空気感が違う。湿度も違う。トスカーナには梅雨もなければ台風だって来ないんだもの。いくら日本に外国の町並みを再現してみたってオーラは出ないんですよ。雑誌の記事なんかだと気軽に「ホンモノを手に入れる」なんて語ってしまいますけれど、ホンモノってのはそれに相応しい場所と相応しい使い手が伴わないとホンモノとしての命は宿らないんですよ。いくら金積んで他人のホンモノを手に入れたって、それだけじゃホンモノは応えてくれないんだ。

 ただし、異国異文化の文物をパクって来ても、それに魂が宿る場合が一つだけあります。

 それは、新しく移された先の土地の風土や歴史や生活様式に合わせて手直しされ、その土地の人々の暮らしに真に役立つものとなった場合。

 考えてみれば、稲作だって醤油や味噌だって自動車だって、発祥の地は日本列島じゃありません。でも、これらは日本列島の風土に合わせて改良に改良を重ねられ、日本列島の暮らしの中に無くてはならないものとして、つまり日本列島のものとして洗練されて来ました。だからこれらは本物になった。世界のどこに出しても胸を張って誇れる逸品が作られるようになった。

 ホクレア号も本物の伝統的航海カヌーとは異なるFRPの船体を持つ復元船ですが、それがハワイの歴史や文化や風土と結びついた時には、本物中の本物の航海カヌー、航海カヌー文化の象徴として眩いばかりのオーラを放つ。

 そんな風に考えてみると、私たちと航海カヌー文化との距離感というのも掴めてきます。

 今のところ、航海カヌー文化は異国の文化でしかありません。いくら本物のホクレア号にオーラがあると言っても、そのオーラのカケラを頂いてそのまま日本に持ち帰って来ることは、何をどうやったって不可能。オーラってのは、貰ったり買ったりするものじゃないですから。自分で創り出すもんですから。一流の人間にはオーラがあるけど、その取り巻きには別にオーラなんてありませんものね(たまにそこを勘違いして、取り巻きにもオーラがあると思いこんでしまう人もいますが)。

 ホクレア号をホンモノにしているのはハワイアンであって私たちじゃないし、ホクレア号のホンモノ感の源泉はハワイアンの社会の中にある。そのオーラは、それに相応しい場所であるポリネシアの海と、古代航海カヌーの民の子孫という相応しい乗り手がいてこそ放たれる。

 私たちがやるべきは、ホクレア号に学び、しかし私たちに独自のホンモノの何かを創り、オーラを放たせる事なんだと思います。ね。

 私たちがホクレア号の取り巻きになってもしょうがないです。