中世ポリネシア

 このウェブログをお読みいただいている方から、メールで質問を頂きました。

 「古代ポリネシアとはいつの時代のことですか?」

 既にメールで私の考え(=このウェブログ内での語用法)についてご説明しましたが、この際ついでに記事として説明しておきます。

 古代というのは歴史学の概念で、もともとはヨーロッパ人が自分たちの歴史を記述する際に使っていた三分類(古代ancient 中世middle ages 近代modern)のうち第一の段階です。middle ageと単数形にすると「中年」になってしまうので注意してね。

 もちろんこういった概念は人によりとらえ方が違いますが、ごく大雑把に言えば、ヨーロッパで古代というのは、その具体的な歴史がだいたいわかる最初の時期である古代オリエントや古代ギリシア、古代ローマのような諸勢力が存在した時代です。

 その後、貨幣経済が広く浸透し、また様々な宗教がキリスト教に呑み込まれていって、キリスト教の世界観と貨幣経済がヨーロッパを覆った時代を中世とします。
 キリスト教の世界観というのは、天地創造があって処女懐胎があって受胎告知があってイエスの奇跡があって、しまいには最後の審判が待っているというお話。双六の振り出しと上がりは確定しており、自分たちはその双六の途中にいる存在だとナチュラルに信じているという事です*1。中世とは、そういう信念に基づいてキリスト教会(カトリックや東方正教会)が社会を支配した時代です。

 近代になると、キリスト教の世界観が疑問視されて、人間の理性や知性をキリスト教の世界観より上に置く、つまり世界一賢いのは人間様であるという世界観が登場します*2。この過渡期となったのがご存じ人文復興、ルネサンスですね。

 まとめると、こうなる。

古代 土着の神様を拝みつつ物々交換をしていた社会
中世 キリスト教を信じつつ貨幣経済を取り入れた時代
近代 人間様を信じつつ貨幣経済が津々浦々まで浸透した時代

 要するにこれはヨーロッパの歴史をもとにして考え出された三段スライド式歴史観であって、そういう概念を他の地域に持ち込むという事そのものがおかしいといえばおかしいのですが、19世紀末から20世紀前半にかけて、マルクス主義がダーウィンの進化論とくっついて、人類社会には普遍的な発展段階(古代中世近代からプロレタリア革命を経て人類社会の進化の最終段階である共産主義の時代に向かうというもの)があるという事を主張した結果、他の地域にもこの三段スライド式歴史観が持ち込まれてしまったのですな。

 日本の場合は弥生時代から平安時代までを古代、鎌倉時代から室町時代までを中世、安土桃山時代から江戸時代を何故か近世と呼び(ヨーロッパ語には対応する概念がありませぬ)、明治以降を近代としました。

 ほら。やっぱりヨーロッパ流の三段スライド式歴史観じゃ間尺が合わなかったから「近世」なんてスペーサーを入れなきゃいけなかったんじゃないのさ。

 ということは、やっぱりヨーロッパの歴史に基づいた歴史段階分類を他地域の歴史にハメるというのは無理なわけですが、敢えて四捨五入でポリネシアの歴史にこれを当てはめますと、ポリネシアに人類が足を踏み入れた紀元前10世紀、つまりラピタ人がソロモン諸島から東に向かってフィジーやトンガに到達した時期を、古代ポリネシアの始まりとします。

 ヨーロッパ流三段スライド式歴史観をもとに考えると、土着の神様を拝みつつ物々交換をしていた社会というのは、キャプテン・クックの来航までずっと続いたわけですから、古代ポリネシアの終わりは18世紀中葉です。

 じゃあその次は中世ポリネシアなのかと言えば、ポリネシアにはヨーロッパのようにカトリックや正教会が社会の全てを仕切った時代なんて到来せず(フラや伝統的信仰の内容に激烈な変化を与える程度には影響力をふるったんですが)、既に近代に突入していた欧米諸国の勢力圏内に軒並み呑み込まれてしまいましたので、敢えて言うならば近代ポリネシアでしょうか。

 う~む、やっぱり古代中世近代という分類法はヨーロッパ専用くさいですねえ。

 そんなわけで、本来あまり良い表現では無いと思ってはいますけれども、ヨーロッパ人到来以前を全て指す言い方として、とりあえず「古代」という言い方をしているというのが、このウェブログの実情です。

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*1 進化論を敵視して聖書に書いてある事を一から十まで全部信じている人がいっぱいいるアメリカ合衆国中西部は、実はいまだに中世をやっているんじゃないかという指摘もあります。彼らが鉄砲を手放せないのも、気軽に他国に軍隊を送り込むのも、きっとそのせいだ。

*2 構造主義や精神医学が人間の無意識の恐ろしさを発見して以降を、近代の世界観がさらに疑問視されたという意味でポストモダンpost modernと呼ぶこともあります。