それを「EDDIE WOULD GO」と言うか

 この年末年始、先住ハワイアン社会に一つの波紋を広げた判決が出ました。

 先に言いますけど、カメハメハ校裁判じゃないですからね。

 事件の主人公の名前はエドワード・アヤウ。先住ハワイアンの遺物を博物館から取り戻す運動の中心人物です。

 ことの始まりは1990年に出来た「Native American Graves Protection and Repatriation Act (NAGPRA)」という法律でした。この法律は、アメリカ合衆国の博物館に収蔵されているアメリカ合衆国の先住民たち(ネイティヴ・アメリカンと先住ハワイアン)の遺物や遺体は、彼らの子孫に返還されるべきであると定めたものでしたので、アメリカ国内の博物館には、各方面からその種の収蔵品の返還要求が殺到したんですね。篠遠先生が、たしか『楽園考古学』で書いておられたと思いますが、ビショップ博物館もそういった要求に従ってどんどん先住ハワイアンの遺物を「返還」しているのだそうです。問題は、何をいつ誰に「返還」したのかも曖昧なままに、どんどん「返還」が進んでいることと、そうやって「返還」された遺物が非常に出鱈目な扱いを受けているということ。

 エドワード・アヤウの裁判は、このような状況を象徴するものでした。

 「ホノルル・スター・ブレティン」によると、アヤウ氏は「Hui M??lama I N?? Kupuna O Hawai'i(ハワイの祖先を供養する会)」の代表として、こういった活動に関わっていたのだそうですが、その活動の中で、1905年にデヴィッド・フォーブスなる人物がビッグアイランドのカワイハエの近くにあるホノコア湾の溶岩洞窟で発見した83件の遺物を、どこかに人知れず埋めてしまったのだそうです。アヤウ氏のグループの主張では、これらの遺物は先住ハワイアンの副葬品なのであり、先住ハワイアンの遺志に従って彼らとともに埋納されなければならないのです。

 ところが、別の先住ハワイアンのグループがこれに異議を唱えました。彼らの主張では、アヤウ氏のグループが埋めてしまったものは、実は副葬品ではなく、1819年にハワイの土着信仰が廃止されるまでは、信仰に関わる品として宗教施設に安置されていたものなのだそうです。ですから、それを埋めてしまうのは間違いであるし、それらを研究することで先住ハワイアンについてより深く知ることが出来る。だからアヤウ氏のグループが独断でその処遇を決めるのはおかしいとなります。

 この対立は裁判に持ち込まれ、先頃の判決では、アヤウ氏のグループの主張は不当であり、フォーヴスの発見した遺物は改めて学術的な調査を受けた後、遺物返還運動に関わる14の先住ハワイアン団体の合議によってその処遇を決めなければならないとされました。よってアヤウ氏は遺物を埋めた場所か、あるいはその場所を知っている人物を当局に教えなければならないと。一方アヤウ氏はこれを拒否し、結局アヤウ氏は、然るべき情報を当局に教えるまで無期限で収監されることとなったのです。

 アヤウ氏を支持する人々は、アヤウ氏の行動をエディ・アイカウの死に擬えて、「EDDIE WOULD GO」のフレーズを持ち出しました。アヤウ氏は先住ハワイアンの為に敢えて犠牲になるんだといいたいんですね。判決の際には100人前後の支持者が法廷で騒いで、そのうち何人かは数日間の別荘暮らしと相成ったようです。

http://starbulletin.com/2005/12/28/news/story01.html

 私は、この判決を妥当なものだと思います。遺物は全ての先住ハワイアンの共通の文化遺産のはずですから、それを一部の団体で独占して、あまつさえそれを埋めてしまうなどというのは、いくらなんでもやりすぎじゃないでしょうか。埋められた遺物が石で出来ているのならまだしも、木や植物性繊維のような有機物だった場合、下手をすれば腐って無くなってしまいますからね。