西村さんの逡巡

 2007年のホクレアの日本航海で伴走船カマ・ヘレに搭乗して危険極まりない日本の海の水先案内人を務められた西村一広さんのウェブログに、凄いことが書かれています。

 ポリネシア航海協会がハワイに設立する航海術学校に日本からも入学者を迎えたい。その学校のスタッフとして西村さんをスカウトしたいので、モダン・ハワイアン・ウェイファインディングを身につけないか。

 パルミラ環礁への訓練航海から戻った西村さんにナイノア氏がそう持ちかけたとあります。

 西村さんが悩んでおられる様子が克明に伝わってくる文面です。

 西村さんといえば日本を代表するセイラーですが、ポリネシア航海協会の人々が西村さんをどれだけ深く尊敬しているかは、たまにハワイから私のところに届くメールを見れば明らかです。bestという表現が惜しげもなく捧げられる人物です。私自身は西村さんの海の上での能力がどれほど傑出しているのか直接には存じませんが(だって私は船酔い王ですから)、時折交わすメールの文面からは、その思慮深さがありありと感じ取れます。あれほどの名声を得ていながら、まったく驕ったり親分風を吹かせたりするところが無い、本当に尊敬に足る人物です。

 さて。その西村さんを巻き込んでのナイノア氏の計画。コンセプトそのものは何の問題も無いでしょう。彼が復活させたポリネシアの伝統的航海術をきちんと学べる場が、学校という形で設立されることはとても重要です。ですが、どういった形の学校になるのかは気になるところです。

 例えばミクロネシアでは、グアムやパラオで中央カロリン諸島の航法術を学べるコースが大学に開講されています。言い換えるなら、あくまでも大学の一つの講義としてそういうものがあるということ。チャド・バイバイヤン船長がヒロでやっているアハ・プナナ・レオでの航海術教育も、ハワイ語のイマージョン教育校のコースの一つという位置づけですね。航海カヌー「イオセパ」を持つブリガムヤング大ハワイ校の航海術コースも同じようなものです。

 つまり、一つの学校法人として航海術だけを教えるような場は今の所存在しない。日本の場合、航海訓練所の日本丸と海王丸がホクレアのような訓練用の帆船として活躍していますが、航海訓練所は他の船員教育機関の外注先として訓練帆船による訓練航海を実施しているという形ですし、海上自衛隊や海上保安庁など訓練帆船を使っていない方面からは、「航海訓練所なんか予算の無駄だから廃止してまえ」という声も出ています。もう伝統的な帆船なんか使わないんだから、そんなものを使う訓練なんかにカネを回すならこっちに寄越せと。

 では、ナイノア氏の構想する航海術学校はどのようなものになるのでしょうか? ナイノア氏は現在、カメハメハ・スクールズの理事でもあります。つまりハワイで一番リッチな私立学校の経営陣に名を連ねている方。カメハメハ・スクールズに航海術学校が加わるのか? でもカメハメハ・スクールズは先住ハワイ人系の人間以外は入学出来ないですね。では、全く別の学校法人にするのか? 別の学校法人にするとして、どのような位置づけの学校にするのか?

 現実的な話をするならば、航海術を勉強した卒業生がその後、行き暮れるような浮世離れした学校ではまずいわけですよ。カタギの世界に戻っていけるものでなければいけない。チャド・バイバイヤン船長が横浜のシンポジウムで話してくださったのもそういうこと。航海術を学んだ経験を自分の仕事に生かしていってくれることを望んでいると。

 ナイノア氏がそこを理解していないわけはありません。となると、ハワイの高校や大学に留学して籍を置きつつ、並行して航海術を学べるような専門学校形態が最善。というよりは、それ以外に策は無さそうです。ハワイの航海術関係者はハワイ大学との繋がりも深いですから、ハワイ大に留学しつつダブルスクールとしてPVS航海術学校に通うような形になるのでしょうか。そこに西村さんも教員として所属すると(西村さんご自身が気づいておられるかはわかりませんが、西村さんを教員としてスカウト出来れば、PVS側には「欧米式のセイリングに関して卓越した技術と経験を持つ人材を確保出来る」という利点もあります)。

 これまでPVSの航海術を学ぶには、「とにかく現場に来い」「とりあえず現地に行ってオハナに入り込め」という以外にありませんでした。それはPVSの古き良き伝統ではありましたが、そろそろそういう適当なやり方では弊害の方が大きくなってきた。世界航海に向けてPVSがクルー志願者向けのオフィシャルな公募アナウンスなんかを出しているのも、そういう問題意識があるのだと思います。西村さんのスカウトもその為の一手ということでしょうか。

 どちらかというとハワイ側に「美味しい」このスカウトですが、ここからまた面白い展開が生まれそうですので、実現することを期待しています。