ひとくぎり

 今日は4年ゼミと3年ゼミの日でした。

 4年ゼミでは、何故君たちの作業が遅々として進まないのかという話を、安宅和人の本の内容を紹介しながら説明。年度当初は、既にそれぞれが過去3年間で自分の興味関心を広げ、特定の分野についてはそれなりに深めて来ているとの想定で「論点を決めて問いを立てよ」という指導をしていたが(安宅の言う「イシュー」の設定)、どうもここまでの話を聞くと、特に何か深めて勉強してきた分野があるというわけでも無く、だから論点を設定する以前に一般的知識が足りないのであろうと。

 そして2ヶ月半経ってもテーマが決められていないという人は、明らかに生産性が低い。というよりも、この2ヶ月半何も知的生産を行っていない。

 安宅が言うように10分間考えて適切な設問は何かということを判断出来ないのであれば、それは「考えている」のではなく「悩んでいる」だけであって、時間の浪費でしかない。だからもっともっと基礎知識を増やす(=文献を読み込む)ことにひたすら邁進せよと。ちょっときつめの話をしました。そして、知的生産のフェイズでのディスカッションによる協力は出来るけれども、基礎情報の収集や現地情報の収集は自分がやらなければ誰もやってくれない。やるしかないんだよと。

 とはいえ、進捗状況報告の2ラウンド目に入った学生は、さすがにあと一歩でテーマ設定作業が終わるくらいまでは来ていましたから、他の学生もそこそこは進んでいると信じたいです。

 3年ゼミは、私自身のミスで学生の学習環境に若干の問題が出ていたこともあって、そのミスを帳消しにするくらいの講義をしなければいけないという意味で、今日は特別に気合いが入りました。ここ一番でしか使わない、フィオレンティーナの2004-2005シーズンのユニフォームを着ていったら、階段ですれ違ったS先生に「運動会に行くみたいな恰好ですね~(笑)」と褒められてしまったわけですが・・・・。

 最初は日本列島史の中で諸民族がいかに集まり、いかに戦い、いかにして国家に統合されていったのかを、敢えて留学生向けの視点で講義。Honsyu Island, Hokkaido Island, Kyusyu Island, Jomon Period, Yayoi Culture, Kamakura Kingdom (鎌倉幕府を一つの王権として説明)など基本的に英単語を使い、またTohoku areaがJapanに併合されたのは12th Centuryで、King YoritomoがHis brother General Yoshitsuneを追放した際に、Jomon Cultureを色濃く残したFujiwara Clanを征服した時であるという話を。しかしこの時もHokkaido IslandのJomon Culture Areaは併合されないままで、その時期に、更に北のカムチャツカから海沿いに南下してきていたOkhotsk Cultureを取り入れて成立したのが、Ainu Cultureである。Ainu CultureのessenceとされるFaith on the Kamuiの一番重要な儀式である「熊送り」は、実はOkhotsk Cultureから取り入れられたものであり、Hokkaido IslandのFirst People固有のものではない。つまりEthnic Groupのessenceとされるものも、実は歴史的に借用され、形成されてきたということが多々あり、何万年も前から続く歴史の中で確固として続いてきたものということは殆ど無い。

 そうやって、「日本史」というよりは「世界史の中の日本列島史」というスタンスから説明されることで、日本人学生にも新しい視点を与えてやれたのではないかと思います。

 続いては「マイノリティとは何か」という議論のまとめ。ここまで徹底的に定義を詰めて来たのですが、今日は「天皇家や貴族はマイノリティなのか?」「ダイアナ妃はマイノリティか?」というような、社会階層の頂点に居る人たちの「生きづらさ」にも注目しながら議論をすすめました。議論の結果として、「少数であるが故に」「生きづらさ」「不利さ」「排除」などを抱えている人々をマイノリティとするというところでほぼ議論は収束し、皇族や貴族、欧米のセレブリティなども見方によってはマイノリティとしうるだろうというところで、あとはそれぞれが、この議論の内容を自分なりに納得出来るかたちでまとめようとなりました。

 これで(震災の影響で当初の予定とは全然違ってしまいましたが)3年ゼミの第1ステージは完了。いよいよフィールド調査の準備に突入です。