石川直樹『CORONA』

 昨年末に出版された石川直樹さんの写真集『CORONA』を買いました。

 ここ数年の石川さんの売れっ子ぶりは凄まじいものがあり、一回り世代が上のホンマタカシさんは別格としても、同世代だともう完全にトップランナーという印象があります。木村伊兵衛賞はおしいところで手が届いていませんが、じゃあその木村賞受賞者たちと較べてどっちがどうなんだということを考えると、佐内正史さんを除けば写真家としてのキャリア形成の順調さという点ではどう考えても一枚か二枚か上だよなあ。

 その理由の相当部分を占めているのは、文筆家としても抜群に上手い筆力や頭脳の明晰さでしょう。立教の三浦雅弘先生がおっしゃっていたのですが、石川さんは博士課程まで終えているだけあって、論理的な思考能力や話題の豊富さがずば抜けていると。30代前半くらいまでの日本の写真家で、あれだけ言葉を自在に操れる人は今現在は他に見あたらないそうです。ライター兼フォトグラファーとしての仕事に加えて、最近はNHKにユニクロとテレビ方面でも大活躍ですしねえ。

 正直に申し上げますと、というか石川さんに以前、直接申し上げたのですが、実は私も石川さんの文章を写真より高く評価している人間の一人でした。ま、単に文章が上手すぎるだけですが。石川さんも「写真を撮り始めるずっと以前から文章は書いてますからね」と苦笑しておられました。

 しか~し。

 今作を見て私、考えを変えました。『CORONA』が届く直前に私が見ていたのが土門拳の5冊セットの傑作選集やらデュエイン・マイケルズ、ライアン・マッギンレイやらなのですが、全然力負けしていない。さすがにセバスチャン・サルガドやアンセル・アダムス、リチャード・アヴェドンあたりのこれでもかという代表作をぶつけられれば別でしょうが、これは大した写真集ですよ。3700円の価値はある。リモート・オセアニアに興味があるなら迷わず買いです。

 真ん中あたりではホクレアの写真も2枚出てきますが(1枚は帆走中のホクレアを横から写したもの、もう一枚はクルー数名の写真で、ナイノア会長やナアレフ・アンソニーさんの顔も見えます)、ホクレアを21世紀初頭のリモート・オセアニアの諸々の風景のなかの一つ、もはやそこにあるのが当然である大型航海カヌーの一つとして表象したという意味で、これは新しい写真表現のように感じました。「あのハワイの、あのホクレア」ではなく、広大な太平洋に散らばるリモート・オセアニアの島々で人々が日々送っている生活の中のワンシーンとして、こういうものもあるよねという写真。ある意味で批評的でさえある。やられた。これはやられましたよ。

 とはいえ、石川さんがそういうものを特に突き放して捉えているということではありません。それは後書きを読めば明らかです。石川さんは『THE VOID』、『ARCHIPELAGO』などで追求してきた環太平洋の島々というテーマに、この『CORONA』で一区切りつけるとのことですが、そのきっかけとなったのがマンガイアでの皆既日食の取材中に受け取った、マウ先生が亡くなられたというメール(実は私が送ったもの)なのだそうです。マウ先生の逝去は一つの時代の終わりを告げる出来事だったわけですが、それが石川さんにとっても、太平洋の島々を巡る最初の長い旅を終わらせるきっかけになったのでした。

 おそらく、石川さんの中でホクレアという存在の占める位置は、石川さんが旅を始めた当初と現在では大きく異なっているのでしょう。それはホクレアの存在が小さくなったというよりも、足かけ10年間に渡った長い長い旅の中で、石川さんの中の太平洋がどんどん広がっていった結果、そしてこの10年間に進水した数え切れない航海カヌーたちの活動の結果、ホクレアの意味合いや位置づけが変化したということなのだと思います。それが『CORONA』における独特のホクレアの表象になって現れたのではないか。そんな気がしています。