太平洋のあっち側

 ご存じのように、1995年、ホクレア号は初めてポリネシアの外に出ました。ハヴァイロア号とともに北アメリカの西海岸を巡る航海です。この時は、サン・フランシスコ湾の金門橋からホクレア号に花びらが降り注いだと言います。

 この航海を北アメリカでサポートした、いわばホスト役の団体の一つが、PICA(太平洋諸島文化協会:the Pacific Islander's Cultural Association)でした。PICAのウェブサイトによれば、サン・フランシスコのベイエリアだけで、25万人もの太平洋諸島系の住民がいるそうです。すごいですよね。

 彼らは毎年「アロハ・フェスティヴァル」などのイベントを行っているのですが、その活動はそこに留まりません。

 例えば・・・・・・航海カヌーを造るとかね。

 実は、既にPICAの航海カヌー建造は最終段階に入っています。船の名は「マカヒキMakahiki」号。デザインはサンタ・クルーズ諸島(ソロモン諸島の東、バヌアツの北にある離れ島で、域外ポリネシア*1諸地域の一つ)のものを使ったそうで、サンタ・クルーズ諸島はタウマコ島*2からわりと近いので、マカヒキ号は「ヴァカ・タウマコ」号にかなり似ています。

http://www.pica-org.org/PicaCanoe/DavidArticle.html

 全長は13mですし、ポリネシア三角海域内のダブル・カヌーと違ってデッキ付きのシングル・アウトリガー・カヌーですから、あまり沢山の人や荷物は載らない。ですからホクレア号やテ・アウ・オ・トンガ号のような、一気に何千kmも渡る超長距離航海は出来ないでしょう。せいぜい数百kmが限度のようです。しかし、これもまたポリネシアの伝統的航海カヌーであることに変わりはありません。

 このマカヒキ号、現在は各部の最終的な調整に入っているようです。海に浮かべては、部材の組み付け方法なんかを調整しているようですね。先日のブラッドさんのお話では、ハヴァイロア号も浮かべてはバラして調整し、また浮かべてはバラして調整し、で完成させたそうです。1点製作ものですからどうしても現物合わせになるんでしょうね。特に重量バランスの微調整が大変だったらしいですよ。

 マカヒキ号は、オセアニアや東南アジア島嶼部など、航海カヌーの民の土地以外で造られた伝統的航海カヌーとしては、おそらく最初の例だと思います。それが、太平洋諸島系の住民のコミュニティが確固として存在しているベイエリアで建造されたのは、ごく自然なことと言えるでしょう。また、一般的なダブル・カヌーではなく、ミクロネシア系の航海カヌーとポリネシア系の航海カヌーの中間の形態をしたデッキ付きシングル・アウトリガー・カヌーのデザインを用いたのも、どういった経緯で決まったのかはよくわかりませんが、結構良いチョイスなんじゃないでしょうか。航海カヌーのデザインってダブル・カヌーが全てじゃないですから。

 PICAはマカヒキ号について、次のように宣言しています。

「マカヒキ号は、太平洋の島々に出自を持つ人々の誇りとなるであろう。また、それ以外の人々にとって、彼女の美しさと洗練された高い航海能力は、彼女を生み出した文化が決して原始的などというものではない事を知る為の教材となるであろう。PICAはこの船を訓練船として、また海上に浮かぶ教室として用いる予定である。彼女を通して多くの人々が、ポリネシアの技芸、文化的諸価値、伝統を学ぶことになるだろう。」

 良いじゃないですか。航海カヌーは昔も今も移民の象徴ってことです。

 それにね。言ってみればポリネシアの航海術は、太平洋のこっち側からスタートして、マカヒキ号でついに太平洋の反対側にまで広まったと言えるんじゃないですか。

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 こちらにもマカヒキ号の画像
http://www.wingo.com/proa/davidcoy/

*1 ハワイ諸島、ラパ・ヌイ(イースター島)、アオテアロア(ニュージーランド)の、いわゆるポリネシア三角海域の外側にある、ポリネシア文化圏の飛び地。

*2 ソロモン諸島の域外ポリネシアの島で、当初ホクレア号の航海士として招聘されたテヴァケ師が住んでいた。現在はミミ・ジョージ博士による「ヴァカ・タウマコ・プロジェクト(タウマコのカヌー・プロジェクト)」が行われている。