(1枚目の画像は南山東部土地区画整理事業の区域内を、組合の許可を得て午前中に視察した際に撮影したもの。2枚目は何ものかによって破壊された工事区域へのゲート。)
11日に開催された第4回「南山・何でも検証ワークショップ」はいつもの3倍くらい濃密な内容でした。市民に加えて市の担当課課長や係長、市内外の街作りのプロの皆さんが集まり、5時間にも及ぶレクチャーとディスカッション。
内容は完全に大学院レベルでした。それも博士後期課程のゼミレベル。
忙しくて報告書はまだ書きかけなんですが、一部を抜粋して紹介しておきますね。
4:自己組織化という戦略 さて、上記のような体感の戦略によって「自立型共生」の家造りや街造りの価値を理解してもらえるとしても、南山のような大きな街に住む人々全てにそれを体感させるのは大仕事です。そこで甲斐氏が提言するのが、自己組織化という戦略です。自己組織化とは複雑系の研究から出てきた概念で、簡単に言えば「幾つかの単純なルールだけ準備しておけば、全体のデザインは決めておかなくても、あとは勝手に適切な全体が出来上がってしまう」という現象です。鳥や魚が群れをつくって行動するとき、彼らは自分が全体の中でどう位置づけられるかなど考えていません。単に周囲の個体にぶつからないようにしているだけです。しかし、その単純なルールに従って多くの個体が一斉に動く時、群れ全体が一つの生き物のようなふるまいを見せるのです。 同じように、南山でも、現在主流である自己完結した家屋ではなく、家屋の内と外を巧妙に繋げて、家屋が街に対してある程度開かれているような家屋を造り、それらの家屋で小さなクラスターを造って「より豊かで便利な都市空間」を造ってみせれば、そこを核として雪だるま式に「自立型共生」の街が生まれていく可能性はあると甲斐氏は指摘しました1。 この問題について甲斐氏がもう一つ問題提起したのは、我々が都市をどのようなメタファー(比喩)として捉えているかということです。甲斐氏は「生物」と「物質(非生物)」というメタファーを提示し、生物は分子構造に「ゆらぎ」があるが、鉱物は分子構造が安定していることへの注意を促します。鉱物はモノとして安定していますから、これを基本にしてモノづくりをすれば安定した品質の工業製品を創り出すことが出来ます。一方、生物は(野菜にしろ木材にしろ)鉱物レベルでの製造公差(この範囲内に入っていればその製品の規格を満たしていると見なされる数値)は望むべくもありません。 日本の都市は、近代以降、安定した品質、厳密で高いレベルの製造公差の実現を目指して形作られてきました。工業製品としての都市を造ってきたとも言えます。しかし、高度な技術で製造された工業製品には、消費者が手を加える余地がありません。私たちが自分の携帯電話機やテレビの配線基盤を(普通は)いじろうとしないように。 もしも我々が南山の街、あるいは稲城の街に「自立型共生」の家造り・街造りの自己組織化の種を播こうとするのなら、街は工業製品としてではなく、「ゆらぎ」のある生物のような街でなければいけません。「これはこうやって使うんだ」ということが(稲城の人間ではないことも少なくない)作り手によって厳密に指定され、それ以外の使い方が成立しないような家や街ではなく、住人たちによって融通無碍に使い方が変化するような家や街であった方が良い、ということでしょう。