超自然的なものが出てこないファンタジー小説は可能か

『後宮小説』を久しぶりに読み返してみて確認したのだが、この作品には魔法や奇跡の類が一切出てこない。

比較的低い発生確率のイベントが幾つか連なって起こるくらい。

だが、これが日本ファンタジーノベル大賞の第1回を、圧倒的評価で勝ち取った小説なのである。

ではこれの何がファンタジーであるのか。

この小説の舞台は近世の中国のような雰囲気であるが、架空の国である。しかし叙述スタイルとしては我々の住んでいる世界と連続しているように書いている。この種の小説は古くは『ほら吹き男爵物語』や『ゼンダ城の虜』、国産であれば『南総里見八犬伝』『アップフェルラント物語』などを思いつく。これらの作品群をファンタジーとするのであれば、その根拠はおそらく、いかにもありそうな架空の過去を創作して現実世界に接続している点にある。二つの世界線の接続の技巧におけるsense of wonderがfantasticであるからファンタジーなのだ。

これに対して、明確に異世界であって現実世界との不連続が明らかであるというファンタジー小説もある。

ここでは事例としてナンシー・スプリンガーの『銀の陽』(Silver Sun)を取り上げる。

この小説は架空世界にある二つの政治勢力の闘争を描いている。「島」と呼ばれる物語の舞台は東方からの侵略者によって植民地化されており、先住民系の豪族の息子アランと侵略者の王子ハルが森で出会うところから物語が始まる。二人共17歳の少年である。二人は島を侵略者の手から奪還することを誓って義兄弟となり、4年間に渡って島のあちこちを放浪しながら独立戦争の準備を進める。この間にも先住民系の仲間たちが次々にハルの父親に惨殺され、ハルも戦闘中に何度も瀕死の重傷を負う。もちろん最終決戦では先住民側が勝利し、島は独立を取り戻す。

この物語において超自然的な現象は2箇所でしか発生しないが、その現象が独立運動に与えた影響は軽微であり、超自然的現象を使わなくても話は進めることが出来る程度のものである。例えば竜を召喚する魔法で敵を粉砕したとか、強力な防御魔法で護られた敵将をマジックアイテムで倒したとかいうものではない。

『銀の陽』における魔法の役割は、数多あるファンタジー小説が、強力で原理不明でよく考えると矛盾しているような超自然の力が物語世界に存在することをもって、ファンタジーとしてのアイデンティティを担保しているのに対し、「かつてこの世界にあった魔法が失われていき、今まさにそれらの最後の一欠片が消え去ろうとしている段階であること」を示すためのものである。世界が脱魔法化する時代の独立戦争なのだ。スプリンガーはトールキンの影響を強く受けているので、放浪の王子であるとか、去ってゆくエルフ族といったモチーフは『指輪物語』と共通するが、『銀の陽』はあくまでも人間と人間の戦いである。魔王の魔物たちとの最終決戦ではない。

このようにして『後宮小説』『銀の陽』の二つの脱魔法型ファンタジーの傑作を見ると、無理に魔法や奇跡や怪奇現象や超自然の存在を出さなくてもファンタジー小説は書けることがわかる。

余談だが『銀の陽』における二人の主人公、ハルとアランの関係性は、現代の漫画やアニメであればそれはもう大変なくらいに二次創作を生み出すはずの凄いやつなので、そっち系のものがお好みの向きは、ご一読を薦める。(仮面ライダーWとか仮面ライダービルドあたりが好みの人にはパーフェクトにハマるはず)