今回の展観に合わせて図録、のようなもの、が発売されています。もちろん私も資料として買って来ました。2000円弱の代物です。
内容ですが、そうですねえ、註や参考文献の弱い新書みたいなものというのが一番正しいでしょうか。もちろん新書にも色々あって、ただのエッセイから本格的な学術書の体裁を持つものまで幅広いのですが、その中でも入門書とか学部学生用の概論の教科書レベルのものに近いと思います。
書いておられるのは須藤健一さん、秋道智彌さん、石森秀三さんという70年代にサタワル島で長期のフィールド調査を行った文化人類学の大御所三人衆にオセアニア生活考古学で手堅い研究をしている印東道子さん、内田正洋さんもエッセイを寄せてましたね。他にもオセアニア各地をフィールドにしている日本人研究者の文章が色々と。註は無いです。参考文献というか読書案内みたいな簡単なものが巻末にありますが、典拠という形にはなっていないですね。
さて、須藤さんはリモート・オセアニアの航海カヌー文化復興運動の概要紹介、秋道さんはサタワルの航法術のうちエタックの概要紹介という感じです。内田さんはホクレアのミクロネシア・日本航海の簡単な紹介。その他、私が読んだ事の無い方の文章も幾つかありましたけれども、全体に共通するのは、これまでに他の場所で発表した内容の流用に終始しているということ。教科書を作る時には比較的良くあるやり方なので、それはそれで問題無いですけどね(わざわざ20年前の論文まで全部コピーして読んでいるようなマニアは日本でも私くらいだと思うし)。
殆どの読者にとっては、手頃な価格でリモート・オセアニアの文化の概要について簡易に知ることが出来る、なかなか便利な入門書になっていると思います。
ただ、例によってマニア的な視点から言えば難点は色々ある。
冒頭の須藤さんの文章はサタワルとハワイくらいしか言及していない上にマカリイを木造船とするなど基本的な間違いもあります(ハワイにある木造の遠洋航海カヌーはイオセパとハヴァイロア)。秋道さんの書かれている話も何十年も前にご自身が調査されてきたことと1970年に出た本の内容だけで、最新の研究動向や研究成果が全く参照されていない。ポゥについて書くならエリック・メッツガーさんの論文は目を通すべきだし、マニー・シカウさんの論文も言及して然るべきかと。こう言っては何ですが、お二人とも確かにかつてサタワル島についての素晴らしい研究をされた方ですけれども、既にこの分野からは離れられた方なんだなあ・・・・と感じましたね。
それと、リモート・オセアニアの航海カヌー文化と全く関係無いテーマをやっている研究者が、リモート・オセアニアというだけで呼ばれて書いたような文章も3割くらい入っているんです。観光人類学とかね。確かに私は観光を重視していますし、このブログでも折に触れて観光を論じて来ましたよ。ですが、観光が航海カヌー文化とどのように関わっているのか、関わりうるのかという意識は常に持って書いてきました。ですが、残念ながらこの本においては航海カヌー文化とはほぼ無関係な、例えばパプアニューギニアのジャングルクルーズを取り上げたエッセイといった文章が、ポッと載っていたりする。
そのエッセイそのものは興味深いですよ、確かにね。でももう少し「オセアニア大航海展」という場に相応しい体裁に仕上げることは出来たと思う。TPOというものがあるんだから。
一言で言えばね、内田さん以外の書き手からは航海カヌー文化に対する愛が全く伝わって来ないんです。後藤明先生や国立科学博物館の海部さんが書いていればまた話は違ったんでしょうが・・・。本国でやった時に出た巨大な図録(ミュージアムショップに2冊ほど置いてありました)の力の入りかたと較べると、落差が大きすぎます。本国版図録は価格もサイズも日本版の4倍くらいありますけど、航海カヌー文化研究の専門家たち(ケリー・ハウ、ジェフリー・アーウィン、サム・ロウ、ベン・フィニーなど)が気合いの入った概説を書いているし、図版の充実度も比較するのがおこがましいくらいに違っています。何より愛がある。情熱がある。そこが一番違う。そもそも日本版は図録のはずなのに、展示品の写真はちょこっと載っているだけで説明もおざなりなんですよ。
というわけで私の結論。日本版図録は現代のオセアニアの多様なトピックを手軽に概観出来るという点では、それなりの価値があります。ただ値段がそれでも2000円弱であることと、航海カヌー文化との関連性が薄い文章も多いこと、註や参考文献などのリファレンス機能が乏しいことを考えると、正直お薦めは出来ません。購入を考えられている方は、まず内容を精査した上で判断されるとよろしいかと思います。
バリューフォーマネーという点では本国版図録の方が遙かに高いです。お金に余裕があったらむしろそちらをお薦めします。