オセアニア大航海展第一報

 民博の「オセアニア大航海展」を見てきました。

 第一印象は「こじんまりしているなあ」ですね。おそらくオークランドから全部は持ってこなかったんでしょう。バスケットコート3面くらいか。1階が巡回展で2階が日本の研究者による関連展示。

 出来ですか?

 元の展示はかなり良いと思います。特にポリネシア航海協会系以外の航海カヌープロジェクトもきちんと取り上げているのが素晴らしい。だって会場入っていきなりヴァカ・タウマコ・プロジェクトがプロデュースしたビデオ展示っすよ。いままで日本語であのプロジェクトについて何か書いたのって絶対私だけだと思うんですが、そういうマイナーなところの仕事がきちんと評価されて取り上げられている。他にも「ハワイキヌイ」のマタヒ・ワカタカ・ブライトウェル氏とフランシス・コーワン翁のインタビュービデオがたっぷりあったりして。あれは泣きました。本当に。マタヒ・ワカタカ氏がいかに義父のフランシス・コーワン翁を深く尊敬しているのか、二人の絆がひしひしと伝わって来てね。お二人は今はモオレアで「ハワイキヌイ2世」を建造しておられるようですが、ビデオで見たところ相当でかいダブルカヌーで、片側の船体はほぼ完成していますね。

 それだけじゃないっすよ。クルソ・カヴェイア大酋長が「ヴァカ・タウマコ」を建造しておられる動画もあった。ラモトレックのユルピイ・ヴォヤージャー・プロジェクトの紹介もあった。さすがに太平洋のありとあらゆる航海カヌー・プロジェクトを紹介しているわけじゃないですけども、研究機関や大きなプロジェクトに所属せずにやっているミミ姐やメッツガー兄やマタヒ・ワカタカ氏を正当に評価してくれたのは、心底嬉しい。

 ただ、マニアの視点から見たら、情けなくて泣きたくなるような部分も多かった。特に説明文の翻訳。これは終わってました。あれがプロの仕事だとしたら3流のプロです。なっちゃいない。話にならない。

 だってocean currentやswellが「潮流」って訳されてるんですよ。前者は「海流」、後者は「うねり」です。「潮流」は潮の満ち引きによって発生する局地的な水流。「海流」は外洋に発生する長大な水流。「うねり」はやはり外洋に発生する幅数百キロ以上の波のことです。

 全然違う。悲しいくらいに違う。しかも辞書を引けばわかる。

 ポリネシア航海協会創設者のハーブ・カネ氏は「アーブ・ケーン」になっていた。そんなのググって私のウェブサイト見れば一発じゃないですか。シングル・アウトリガー・カヌーとダブル・アウトリガー・カヌーの構造の違いさえ理解していないから、「アウトリガーや流線型の浮きを両側に装着する」というのを「片側に装着する」と誤訳してしまう。

 シングル・アウトリガー・カヌーのシャンティング(スイッチバックで風上に切り上がる操船)の説明でシャンティングとタッキングを混同する(タッキングはジグザグ操船で風上に切り上がる操船)。「canoe can tack」は「カヌーは方向転換が出来る」であって「カヌーはタッキング出来る」じゃないんです。tackとtackingは全然別の操船なの。

 それどころか「sail into the wind」を「風の中で航行する」と訳している箇所もあった。これ、私はホクレアの公式ブログで散々訳しましたが「風上に向かって航行する」です。

 マウ先生の業績も誤訳されていた。「マウが協力してハワイで復活させた伝統的航法術が太平洋中に広まった」が「マウはかつて太平洋中に存在した航海術をハワイで復活させた」となっている。これは文法構造を理解していれば有り得ない誤訳。でも、これでは何故マウ先生がハワイどころか日本でもアオテアロアでも尊敬されているのか、その理由が分からない。エクスパンデッド・ランドフォールのところも誤訳があったしなあ。

 それでですね、私、3時間くらいかけて訳文を全部チェックして、ノート10ページ分くらいに誤訳の一覧と正しい訳まで添えて職員の方に渡して来たんですよ。アホでしょ。一銭にもならないどころか、単なるすげーイヤな奴じゃないですか。職員の方は恐縮しておられましたけど、内心では何だこいつって思っておられたかもしれない。普通はそうだ。私だって、これが航海カヌー展じゃなければ「タルい仕事してやがんなあ」って冷笑して終わりっすよ。

 でも、ナイノアさんやチャド・バイバイヤン船長や(若き日の)ブルース船長がビデオの中で真剣に話してるんすよ。ミミ姐の作ったビデオだってある。篠遠先生やクセルク先生、デヴィッド・ルイス先生、その他本当に沢山の人々がこの40年人生をかけて取り組んで来た成果がアホな誤訳で台無しにされてるんです。

 私には耐えられなかった。

 多分私には、広い意味で自分はヴォヤジーング・ファミリーの一員だと名乗る資格があると思いますが、だとしたらどうでしょう? 自分のファミリーのアイデンティティの根幹が、低レベルな翻訳できちんと伝わっていないとしたら? その現場に居合わせたとしたら? ファミリーの一員として、「それは違う」と言いませんか? ・・・・言わないのかもしれないけど、私はそれが出来ない人間なんです。

 結局、10時から17時までずっと私は会場内に居ました。訳文が悲惨なのは悲しかったけど、でもやっぱりあの展覧会が来たのは本当に嬉しかったんです。もしかしたら、民博が私の指摘を容れて訳文を修正してくれるかもしれませんし、とにかく見に行って損は無いですよ。

 そうそう、ミュージアムショップを覗いたら、後藤明先生や内田さんの本が平積みになってました(内田さんなんか記念論集にも寄稿してた)。でも『エディ・ウッド・ゴー』も『星の航海術をもとめて』も見当たらなかったんで、ミュージアムショップのおばちゃんに「ねえ、僕もその(ポスターを指差して)船の航海記翻訳したんだけど、置いてくれへん?」っておねだりしたんですよ。そしたらね。

 「『星の航海術をもとめて』も仕入れたんですけど、あっという間に完売しちゃったんで、今取り寄せてるとこなんです」だって。ちょっと嬉しかったりして。