いい加減なやつら

 我らがカピタン・アラトリステ。フランドルで歩兵をやる前はナポリ駐留のスペイン海軍の軍船に乗っていたこともある、というのは有名な話です。翻訳者の間では。それで、何やらヴィーゴ・モーテンセン主演の映画の方では、船の上でカピタンが暴れているシーンもあるとかないとか。原作中でも、「シベリア送り(死語ですが)」みたいな意味で「ガレー船漕ぎに行くかお前?」というフレーズが出てきておりますね。

 そんじゃ、カピタンが乗っていたのはどないな船だったか。

 わからんとです。ええ。ほんまにわからんとですよ。勘弁してくださいよ旦那。聞いてますかレベルテの旦那。

 つうのはですね。原作ではgaleonとしか書かれておらんのですが、この言葉が指し示す船種の幅がひろ~いんですよ。皆様期待のシェフィールド・ユナイテッドの正ゴールキーパー、パディ・ケニーの横幅と同じくらいに。まあ聞け。

 そもそもヨーロッパの軍船というのは古代ギリシアの時代から16世紀まで、バカの一つ覚えみたいに同じ基本設計を使っておりました。それがガレー船と呼ばれる、長い長い船にわんさか漕ぎ手を乗せた船です。波が静かな地中海を沿岸沿いに航海していくんなら、それで充分だったんですな。こういう船で敵の船に突っ込んでいって、人数にものを言わせて切り込む。それだけの勝負を長い間行っておりました。ただ、大砲というものが発達してくると、それを船の上で使ってみたくなるのが人情。そこで、マストを沢山(普通は4本)立てて、舷縁を高くした(=大砲を船内に格納できる)大型の軍船が建造されました。そいつを「ガレオン」と呼んだ。スペインやポルトガルでは。似たようなものをヴェネチアではガレアスと呼んだ。

 16世紀のスペイン海軍のガレオンでも大きいものだと排水量1000トン、乗組員およそ450名ほどだったといいます。うち150名が船の操作をやって、300名は斬り込み隊です。アラトリステはきっとこの斬り込み隊の中にいたんでしょう。

 そこまでは良い。しかし、「軍船=ガレー」という刷り込みから抜け出せなかった奴らもいっぱいいて(だって2000年間というもの、奴らにとって軍船=ガレーだったからね)、他の人がガレオンと呼んでいるものをガレーと呼んだ。呼ぶなよ馬鹿野郎。

 ここで混乱が生じます。船種としての「ガレオン」のみを指し示す言葉はガレオンかガレアスですが、ガレーという言葉は本来のガレーに加えて「ガレオン」をも指し示すことになってしもうた。

 さて。翻訳家はここで悩みます。レベルテの旦那は「galeon」としか書いておりませんが、そのガレオンは罪人を送り込んでオールを漕がすことが出来なければなりません。しかしスペインで使っていたガレオンにはオールは無かった。ところが、17世紀前半のスペイン海軍は、ガレーもガレオンもどちらも使っていたのですよ。じゃあレベルテの旦那は上で説明した混乱の逆を突き、「galeon」と書いて「ガレー」と読ませるつもりなのか(英語版はそうしている)。しかし伯爵家の総領息子とか艦隊司令官が乗る船というのは、やはり「ガレオン」だろうと思うんですよ。そっちのが遙かにでっかいからね。

 翻訳家の結論はこうです。罪人を乗せる「galeon」は「ガレー船」と書き、えらい人が乗っている「galeon」は「ガレオン船」と書く。文脈から判断出来ない場合は原表記通り「ガレオン」とする。まったくもって、いい加減な奴らの相手は疲れるでございますよ。訳語一つ決めるのにこの騒ぎっすから。

 さて、ここまでやって翻訳家の収入はどんなもんなのか? 下手すると(=売り上げが悪いと)セブンイレブンのレジに立っていた方が時給が良かったくらい、とだけ申し上げたいと思います。日本公開があるのならば、せめてわしらに字幕監修やらせてくんないですかね。ほら、あそこでボロミアも「それが良い」と言ってますよT田センセ?

T田N津子「You are not yourself!(嘘つき!)」
ボロミア「だから嘘つきじゃねーっての。」