山口徹『海の生活誌』吉川弘文館、2003年
を読んでいたら、非常に面白い指摘がありました。著者は網野善彦さん系の日本史研究者で、日本の海の近世史を専門にしておられる方です。
といっても、漁業史というわけでもなく海運史というわけでもない。海と人の関わり方を、文献資料を使って丹念に論じていくというスタイル。その山口さんは、「かつて日本人はみな海と深く関わって生活していたのだが、いつのころからか日本人は海に背を向けたのである」という物言いを、紋切り型の理解であるとして退けているのです。
山口さんの指摘はこうです。たしかに日本の海沿いには無数の集落があったが、それらの集落の全てが漁民や船乗りの集落だったというわけではない。自然環境次第では、炭焼きなど「山の仕事」を中心として生業を営み、背後にある海は出荷の為の着荷場としてのみ利用していたような集落も数え切れないほどある。こういう村は、しかし海を必要としていなかったわけではなく、むしろ交通路として海は不可欠だった。ただしそこに住む人々は、自ら海に出ることはしなかった。
山口さんは、このような村を「海村(かいそん)」と呼ぶことを提案しておられます。
なんかこういう話を読むとほっとする、というのは変でしょうか。海の近くに住んでいたら海に出ないと嘘、みたいな海ファシズム的言説の解毒剤みたいな感じがして、この話を読んだら二日酔いが醒めたような爽快感があったのですが。