『忘れられた日本人』の舞台を旅する

 最近、ガシガシ面白そうな本が届いています。もちろんカヌーもの、海ものなんですが、仕事で今訳しているのは16世紀スペインを舞台にしたチャンバラ小説『エル・カピタン・アラトリステ』シリーズ。私、実は西欧文化もすごく好きなんですよ。特にスペインね。でも、アタマの中身をスペインモードと太平洋モードに切り替えるのに数日かかるんで、つらいです。

 さて。そんなわけで今日は本の紹介。

木村哲也『「忘れられた日本人」の舞台を旅する』

 木村哲也さんは、今は無き東京都立大学(石原慎太郎が破壊して灰燼に帰してしまいました)を出られた後、かの網野善彦さんの活動で有名な神奈川大学の常民文化研究所で博士号を取られた方です。今は山口県の周防大島にある周防大島文化交流センターの学芸員をしておられます。

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 周防大島は以前にも何度か書きましたけれども、漁民の島として大変有名で、ハワイ近代漁業の礎を築いた日本人移民の殆どがこの島の出身だったとされています。ナイノア・トンプソンさんが子ども時代に海のイロハを習ったという日系漁師カワノ・ヨシオさんも、この島の出身だったのではないか。私はそんな推測もしているのですが、それはともかく、この周防大島は、日本の民俗学史上に柳田国男と並んで極太明朝体16ポイント活字で記録される巨人、宮本常一(みやもとつねいち)さんの故郷でもあります。

 宮本さんは、日本史ではあまり出てこない漂白民、被差別民、非稲作農民の文化に注目した研究を行ったことで有名なのですが、その成果の一つとして、『忘れられた日本人』という本があります。今は岩波文庫になっています。木村さんは、学部生から大学院生時代、この本に登場する集落を一つ一つ丹念に歩き、宮本さんの記憶を持っておられるご老人の話を聞き書きするという活動をしておられました。この本は、その集大成として50部だけ自家出版されたものが出版社の目にとまり、改めて出版されたというものです。

 例によって私は名著については最初にそう書くのですが、この本も名著です。本当に良い本。良質の紀行文であり、良質のルポルタージュです。木村さんが訪ねられたのは、周防大島の他、高知県の山村(檮原〔ゆすはら〕・寺川)や対馬、河内長野市の滝畑、愛知県の北設楽郡名倉、福島県いわき市など。そこで木村さんは、辛うじて宮本さんの記憶を持っていたご老人がたを探し当て、宮本さんのフィールドワークとは何だったのかを追体験していきます。具体的に言えば、柳田国男が敢えて無視した日本像です。それは稲作の出来ない村、日本列島より朝鮮半島の方が行き来しやすい村、民主的な自治組織が近代以前に既に成立していた村など、「封建的な稲作農業をして生計を立てる、外部から切り離された島国」ではなかった日本像です。

 中でもこのウェブログ的に面白かったのは、周防大島の人々の移動性ですね。彼らはハワイにも数多くの移民を出しましたが、彼らの移動性はそこに留まらず、大工として四国各地で高品質の宗教建築や民家を大量に建造し、あるいは対馬に入植して新しく漁村を開いたりする。木村さんが彼らの移動性のモニュメントではないかと推測しているのが、高知の山奥の村、檮原に残る海津見神社(わだつみじんじゃ)です。檮原はとうてい漁業には縁の無い険しい山奥にあるのですが(高知のチベットなどと呼ばれることもあるそうです)、そこに何故か漁業の神様が祀られていて、立派な木造漁船が2艘も奉納されており、四国各地から漁業関係者の参拝が絶えないのだそうです。

 何故、そんな神社が山奥に出現したのか。実は檮原は愛媛から高知に抜ける裏街道の中継点で(司馬遼太郎さんは、坂本龍馬がこの道を通って脱藩したことに興味を持ち、「街道を行く」シリーズで檮原を訪れています)、周防大島から土佐に行く長州大工はたいがいこの村を通っていたのです。ですから、周防大島の大工がこの神社の話を四国各地でして回ったことが、檮原の海津見神社信仰を広めたのではないかと。
http://kazekobo.cool.ne.jp/siba/yusuhara.htm

 ところで宮本常一さん、故郷は周防大島なんですが、晩年は我が多摩川中流域の府中に住んでおられたんですよ。府中市郷土の森博物館では、現在、宮本さんの撮影した「くらやみ祭り」というプチ展示会をしています(見てきました)。来年には宮本さんの大規模な回顧展をするそうです。