ポリネシアと二つの理想郷

 こんなニュースがありました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050512-00000032-sanspo-ent

 ディズニーがアオテアロア(ニュージーランド)で「ナルニア国物語」の映画を撮影している。

 「ナルニア国物語The Chronicles of Narnia」はクライヴ・ステイプルズ・ルイスClive Staples Lewisが1950-56年に執筆した大河ファンタジー小説です。アスランという、ライオンのような姿の神様が創造した世界の歴史という体裁で、最後には善と悪の大戦争があって善が勝利するという、まあ良くある話と言えばそれまでなのですが、その世界観はなかなか良く出来ていて、世界の文学史に残る名作とされています。1巻目「ライオンと魔女The Lion, the Witch and the Wardrobe」の冒頭、古い屋敷の中で隠れん坊をしていた少女が入り込んだ洋服箪笥の奥がそのまま雪の降り積もる夜の森に続いており、街灯が1本ぽつりと光っているという状況は、天才の仕事と言うしかありません。

 ちなみに記事の中で「世界三大ファンタジー小説(そんなの今日初めて聞いたコンセプトですが)」*1として挙げられている「指輪物語The Lord of the Rings」の作者トールキンはルイスの友人で、ともにオックスフォード大の教員でした。それどころか「ホビットの冒険」執筆中から「指輪物語」に至るまで、ルイスはトールキンの原稿を読んでは批評を加えていたという仲なのです*2。

 さて、そんな名作ファンタジーを再現する映画の撮影地に選ばれたのが、「指輪物語」に続いてまたしてもアオテアロアであったというのは、なかなか興味深い話です。ご存じのようにアオテアロアはポリネシア三角海域の西南端であり、その気候はもはや熱帯のそれではなく、雪を抱いた高山があり、奥深い森があり、豊かな水を湛えた河があり、広大な平原がある。かつてこの島々に7艘の航海カヌー*3でたどり着いたポリネシア人たちが「白い雲がたなびく地」と名付けた通りですね。

 そして、現代人がファンタジーの物語を書こうとするときに、ゼロから物語世界を創造すると、だいたいがそんな感じの土地を設定するように思えます。深い森、清らかな川、緑の平原、険しく聳える山々。街道沿いには宿場街があって旅籠があって放浪の騎士や旅の商人や謎のカンフー使いが潜伏している。万年雪から流れ出る水を集めた川沿いには洞窟があって、竜が宝物を守りながら火を吹いている。

 なんだよドラゴンクエストじゃねえかって? あのゲーム自体、アメリカ人が作ったファンタジーゲーム「Wizardry」と「Ultima」の悪魔合成みたいなもんですからね。その「Wizardry」の作者ロバート・ウッドヘッドRobert Woodheadは、そもそも(本来の意味での)ロールプレイング・ゲームの「Dangeons and Dragons」のディープなファンで、「D&D」みたいなものをコンピュータ・ゲームにしようとして生まれたのが「Wizardry」だったのです。

 で、その「Dangeons and Dragons」というのは、作り手がはっきり言ったわけではもちろんありませんが、もともとは「指輪物語」の「旅の仲間」のクライマックスであるモレア鉱山の冒険をゲーム化したものと言われています。「D&D」が生まれるちょっと前、1960年代後半というのは、トールキンの「指輪物語」が、ニューエイジ思想に乗って広く読まれた時代でした。

 要するに「ドラゴンクエスト」の源流(ということは現代日本のファンタジーゲーム、小説、漫画)にあるのは紛れもなく「指輪物語」であり、トールキンとルイスがオックスフォードの地で戦わせたファンタジー論なのです。「ファイナルファンタジー」から「魔界天使ジブリール」(エロゲー)まで、元を辿ればそこに行き着く。

 言ってみれば、現代のファンタジーの基本的な舞台装置、情景というのがあり、それを映画にする時にはアオテアロアが使われる。そういうことになります。面白いですね。ヨーロッパ文明の正統である地中海世界の風景じゃないんです。焼け付くような日差し、オリーヴの木しか育たない乾いた大地、群青色の海、美味しい海産物とワイン。沖では漁師がマグロ漁。食卓には米。トマト。そういうんじゃないんだなあ。

 何でそうなるのか。はっきりした事はわからんですが、やはりルイスとトールキンという超一流の書き手が、ファンタジーの発展期にイングランドで活動していたという所は大きいんじゃないかと思います。アオテアロアの風景(=現代ファンタジーの基本風景)というのは、産業革命でブリテン島が失ってしまった中世の風景なわけですから。アーサー王と円卓の騎士たちが活躍した森は全部切り開かれて燃料にしちまったし、谷間には炭坑から出たボタ(石炭カス)が堆く積もっている。世に名高い「囲い込み」で入会地を失い農業で食えなくなった人々は大都市に流入し、故郷の民謡はどんどん忘れ去られていく。

 そりゃあ、昔を懐かしんで嘆きたくもなりますわね。嘆いても戻ってこないのであれば、せめておとぎ話の中にそれを蘇らせたくなる。

 そうやって生まれたのが「指輪物語」であり「ナルニア国物語」の世界なんじゃないですかね。言ってみれば中世ブリテンへの郷愁。「あの頃は良かった(かもしれない)。」

 何とアオテアロアは代用ブリテン島だった!

 ちなみに、その代用ブリテン島に人類が到達したのは今から1200年くらい前、9世紀のことだと言われています。タヒチあたりから船出した航海カヌーが北島にたどり着いた。だからホクレア号もハヴァイキヌイ号もタヒチとアオテアロアの間を実験航海で渡った。

 その出発地であったタヒチといえば。そうです。ゴーギャンです。半裸の美女。バウンティ号の反乱。ヨーロッパ人が夢の理想郷と憧れて止まなかった、緑溢れる熱帯の楽園。

 あーらら。アオテアロアが「古き良き中世ヨーロッパ」ならば、タヒチは「ヨーロッパの正反対」なわけで、結局のところポリネシアにはヨーロッパ人の憧れる「理想郷」が両方ともあったってことですね。

 もちろん、この「理想郷」はヨーロッパ人が勝手にポリネシアに押しつけたイメージではあるんですが、今やタヒチもアオテアロアも、この「理想郷」イメージを積極的に開発して売り物にして、それで外貨を稼いでいる。

 人間って、したたかです。

 とりあえずディズニーがどこまでやれるのか。
 「指輪物語」はピーター・ジャクソン監督の情熱が映画史上に残る大傑作を産み出しましたけど、ディズニーにあれと同じだけの情熱が用意出来ているのかしら。ソロバンが先に立った企画(ディズニーにはとても多いと思います)だとしたら苦しいですよ。

*1 たしかに売り上げだけ見れば「ハリー・ポッター」も「指輪物語」「ナルニア国物語」に比肩しうるかもしれませんが、内容という点ではちょっとだいぶかなり深みが足らないと思いますし、規模や売り上げで言えば「グイン・サーガ」もファンタジー小説史上屈指の作品でしょう(近年になって栗本薫の筆力が絶望的なまでに低下しているのは痛ましい限りです)。「コナン」や「エルリック」シリーズ、ラヴクラフトの「クトゥルー」シリーズも忘れるわけにはいかないですしね。連作というので無ければ「オズの魔法使い」や「銀河鉄道の夜」も名作ですね。

*2 二人の仲はルイスが「ナルニア国物語」を書き始めると次第に離れていったと言います。トールキンが「指輪物語」を書き終えたのが1950年で、ルイスが「ナルニア国物語」を書き始めたのも1950年。

*3 以下、本体ウェブサイト「ホクレア号を巡る沢山のお話を」の「用語集」から

「Great Fleet(大艦隊:伝説)」

 マオリの祖先が建造し、ハヴァイキからアオテアロアに渡ったという7艘のカヌー群のこと。それぞれ「テ・アラワTe Arawa」「タイヌイTainui」「マタアツア Mataatua」「トコマル Tokomaru」「クラハウポKurahaupo」「タキツムTakitimu」「アオテアAotea」と呼ばれ、現在でもマオリの人々はこれら7つのカヌーに基づく集団のどれかに所属している。
http://www.geocities.jp/hokulea2006/atz.html