モダン・カタマランと航海カヌーの種を蒔いた男

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 リモート・オセアニアの航海カヌーの中でも、ポリネシアのダブルカヌーは特に目立つ形をしていますよね。なんせアウトリガー・カヌーはインド洋から太平洋に色々ありますけど、双胴船というのはなかなかあるもんじゃない。

 この船の形はもともと船体の製作技法が限られている中で、可能な限りの積載量を稼ごうとして考え出されたような気がします。なんせ石器と貝殻しか無い為に板材を製材できない。だから構造船を作れるような気の利いた形に木を切り出せない。だから刳り抜き船に舷側や艫や舳先を足した準構造船になる。しかし準構造船ではどうしても船底になる丸太のサイズが船全体のサイズを決めてしまう。船のサイズは航続距離を決定しますから、東ポリネシアを制覇する1000km単位の遠洋航海をやるには、神功皇后が朝鮮半島に乗っていったような船では話にならない。

 ウィンダリアやラピュタの木でもあれば別ですが、いくら古代のオセアニアでも、そんな馬鹿げたサイズの木は生えていなかったでしょうし、仮にあったとしても石器ではちょっと切り倒せないですわな。

 そんなこんなで、船を二つ並べてデッキを渡したダブルカヌーという形が出来てきたんでしょう。

 そしてまた、この形がポリネシアの遠洋航海文化の象徴でもある。

 さて、現在のリモート・オセアニアの航海カヌー文化復興運動の発端となったダブルカヌーは、ベン・フィニーがカリフォルニアのサンディエゴで建造した「ナレヒア」号でした。1960年代後半のことですね。

 そういう事になっている。

 しかし、面白いもんですねえ。リモート・オセアニアの航海カヌー文化復興運動も実はそう単純なものでもない。思い出して下さい。かのホクレアと相前後してタヒチからアオテアロアまで、やはり伝統航海術だけで渡って見せた船があったでしょう。マタヒ・ワカタカとフランシス・コーワン師の夢の結晶、初代ハヴァイキヌイ号です。

 フランシス・コーワン師がミクロネシア系とは違う、西ポリネシア系の伝統航法術を身につけていたお話は以前にしたと思います。このフランシス・コーワン師のかつての盟友こそが、ダブルカヌーを最初に現代に蘇らせた人物なのです。

 名をエリック・ド・ビショップEric de Bisschop。フランス人の海洋冒険家です。1956年、彼はヘイエルダールの「ポリネシア人は南米から西に向かった」という説(有名なコン・ティキ号の冒険ですね)を覆す為に、竹で作った筏「タヒチヌイ」を駆ってタヒチから南米への実験航海を敢行しました*。この時の航海に同行していたのが、若き日のフランシス・コーワン師です。

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 このエリック・ド・ビショップこそ、1937年にダブルカヌー「カイミロアkaimiloa」を建造して、ホノルルから西へ、インド洋、喜望峰を回って大西洋を越え、フランスのカーンまで航海した人物なのでした。カイミロア号は長さ35フィートと小柄でしたが、264日間かけて無事に航海を終えたそうです。

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 その後、ビショップのカイミロア号にヒントを得たヨットデザイナー達が双胴ヨット(カタマラン)を発表するようになり、現在のハワイの海ではごくありふれた船形として私達観光客を乗せているのです。中でも面白いのはジェームス・ワーラムJames Wharramの活動で、彼は小型カタマランの設計図を売るという方法で、世界各地に自作カタマランを出現させています。既にその数は8000艇にも上っているそうです。

 日本の海にもワーラム・デザインのカタマランはあります(トラックバック先参照)。

 本格的な航海カヌー建造はコミュニティの大がかりな支援が無ければ不可能ですが、こういったやり方でカタマランと親しむという方向性も、ポリネシアのダブルカヌーの民の末裔達にとっては、極めて重要でしょうね。

* 1956年の航海があと一歩の所で頓挫したビショップは、後に再びポリネシアから南米への航海を企てるも、クック諸島で遭難死してしまいます。フランシス・コーワン師はビショップの遺志を継ぎ、航海カヌーでアオテアロアからチリへと渡るという夢を追い続けています。この夢はコーワン師からマタヒ・ワカタカへと受け継がれており、私達はいつか必ずアオテアロアの航海カヌーがチリに碇を降ろしたというニュースを目にする事になるでしょう。