無茶苦茶タイトな日程の仕事が入って来たので、のんびりと航海カヌーに思いを馳せる時間が持てません。こういう時は宿題を少しずつ片づけることにします。
『ズニ族の謎』の7章は、日本語とズニ語の関係について論じた章です。
ご存じのように、日本語は話者数でいえばなかなかの大言語なのですが、その系統は諸説紛々、いまだにはっきりした答えが出ていない謎言語です。文法を見れば朝鮮語に似ているような気もするし、語彙は漢語の影響も大きいけれどオーストロネシア(オセアニアや東南アジア島嶼部)系の影響もある気がするし、でも北方のアリュートやアイヌの語彙も入っている。
このような状況をして、人類学者の後藤明さんは「クレオール言語なんじゃないの?」とおっしゃっています。以前にも書いたと思いますが、クレオール言語とは複数の言語が接触する場(交易など)で出来た「当座間に合わせ言語」であるピジン言語が、数世代を経て一つの独立した言語として固定化されたものです。
ピジン言語は不完全な文法しか持たないので、せいぜい商売やナンパにしか使えませんが、クレオール言語は文法が使い込まれて精緻なものになっている*ので、語彙さえあればおよそ何でも語る事ができます。それこそ哲学・宗教・自然科学・社会科学からワイ談などなど何でもオッケー。
しかし、このように交雑種が固定化されたものには、単一の祖語を設定出来ないですわね(そこが面白い所でもあるのですが)。逆に言えば、もしも日本語がクレオール言語なのであれば、日本列島に住んだ人々がいかにハイブリッドな存在であったかが、そこからも伺えるわけです。私たちに単一の祖先は居ないとね。
さて、そういったわけで日本語の祖語や系統を巡る議論ははっきりしていませんから、その言葉とズニ語の距離を測るのはかなり難しいのです。これがポリネシア諸語のように、ある時点で単一だった祖語から分岐していった言葉ですと、「一度分岐した言葉の間の語彙の変化率は何年あたりで平均何%」という大まかな計算式がありますから、ハワイ語とマルケサス語の分岐が何年前、ハワイ=マルケサス祖語とラパ・ヌイ語の分岐がその何年前、ハワイ=マルケサス=ラパ・ヌイ祖語とチャタム語の分岐がさらに何年前という具合に計算出来るんですけれども。
著者デイヴィスはその辺りを理解した上で、日本語とズニ語が現状で極めて似ているものであると考え、その理由を、日本語とズニ語が同じ祖語から分岐した言語であることと、また13世紀に日本からズニに移民した集団による語彙の大規模な借用という事件があったことに求めます。
続いて著者は日本語とズニ語の文法上の類似を説明するのですが、私は言語学を全く勉強したことがないので、著者の議論の有効性は判断しかねます。ただ、やはりこれまでと同じ問題点として、「日本とズニだけを採り上げてみせても、その両者の間の類似度が他のサンプルに対する類似度と比べて高いのか低いのか全くわからない」という所を指摘できます。
もう一つ、これは訳者もあとがきで指摘していますが、仮に日本から13世紀にズニへの移民があったとしても、そういった相対的に小規模な外来者集団の言語が、在来言語にどれだけの影響を与えうるのか、きちんと議論されていないという不備もありますね。
例えば、外来者が極めて強力な権力を獲得した場合(16世紀に南北アメリカに侵入したスペイン人など)には、外来者の言語が従来の言語に大きな変化を与える可能性があります。しかし、著者デイヴィスが念頭に置いているのはおそらく浄土教系の仏教徒ですけれども、日本の浄土教徒が強力な戦闘集団となるのはぐっと時代が下がって戦国時代ですしね。なかなか上手い説明が付きにくい所です。
というわけで、第7章の説得力も、かなり苦しいかな。
* 文法や語彙は常に変化し続けます。従来の言い回しで表現できない・しづらいものを表現する為です。例えば最近の日本語では「立ち上げる」なんて言い回しが市民権を得ました。私個人はあまり好きな言い回しではありませんがね。