『ズニ族の謎』精読(第5章)

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 第5章では北太平洋を12世紀から14世紀という時期に日本人が横断できたかどうかが検討されます。角川春樹の「野生号3世」の話がいきなり出てきますが、「野生号3世」のようなカタマランが室町時代にあったなんて話は聞いたことが無いですね。

 その後も変な所発見。例のエクアドルのバルビディア土器の話が出てきて、「バルビディアAの16個の装飾技術は後に縄文のものと確認された」なんて断言が出てきますが、典拠註を見たら、なんのことはないバルビディア=縄文説の提唱者のメガース先生の論文です。そりゃあ本人に言わせたらバルビディア土器は縄文土器だって論文書くに決まってるじゃないですか。減点1。

 続いては遣明船が沢山難破した話が出てきますけれども、その中のいくつかが北米まで流れていったというのはどうなんでしょう。それは少なくとも黒潮に乗らないといけないのですが、遣明船の出港地は瀬戸内海沿岸か九州北岸で、黒潮を横切るようなケッタイなルートを取る船ってあんまし無かったのでは? 減点2。

 さらに著者はベン・フィニーがホクレアを造るきっかけになったアンドリュー・シャープの本(ポリネシア人の漂流による拡散説を唱えたが後に完膚無きまでに論破された)に依拠した1981年の研究から、日本の船が漂流によって北米まで到達したと指摘しています。面白いことにこの研究はアオテアロアのマッシー大(来年のアオテアロアの航海カヌー展の考証担当者の現在の所属もここ)所属の角林文雄という研究者によるものです。

 この角林さん、なかなか面白い持論を持っておられます。紀元前2000年期にポリネシア方面からカヌーで日本列島にやってきた人々(ラピタ人)がクマソ族やハヤト族になったのだと。

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 個人的には、だったらラピタ土器が九州から出ているはずだろ、とか、おそらくラピタ人が使ったであろうシングル・アウトリガー・カヌーや航海術の残滓が何で西日本に無いの? とか、mtDNAやHLAのパターン上の整合性が取りづらいのではないか、とか色々思いますが。実際の論文には当たっていないのでなんとも言えないですけれども、テレビ東京や内田正洋さんの「縄文人がラピタ人になった」説の逆バージョンみたいですね。

 そして最後に、日本と中国の間の仏教僧の頻繁な移動を示して、宗教的な動機が北米移住を促したのではないかと締めくくっています。ですが、前にも指摘したように仏教僧は東に行く理由が無いです。仏教僧を大陸に送るため「だけ」に船が仕立てられたという事例くらいは出してくれると良いのですが(普通は便乗して行き来していたと思うのですが)、それも無い。

 というわけで、この章もちょっと苦しすぎる気がします。

 つづく。

 画像は横浜市金沢区の称名寺の浄土庭園。中世日本で盛んになった仏教の浄土信仰は、このような形で「西方への」憧れを形にしました。阿弥陀如来を祀る本堂は東に向き、参拝者は西方の海に見立てた池を渡って極楽浄土の阿弥陀如来を拝むというわけです。

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