では『ズニ族の謎』の細部を検討していきましょう。
まず2章まで。序論は筆者の個人史なので省略。1章はズニの現在についての説明なのでこれも省略。実質的な議論は2章から始まります。2章ではズニの起源神話の検討。
19世紀に人類学者による参与観察によって記録されたズニの起源神話はざっと以下の通り。
・ズニは「西の方にある」「日が沈む世界の海」から「世界の中心を目指してやって来た」
・ズニの移動を導いたのは双子の神であった
・ズニは移動の途中、何度か定住を試みたが、その度に地震が起こり、神が東への移動を命じた
・最後にズニは世界の中心に到達し、そこに住みついた
デーヴィスはこれらの物語を、日本の各種の神話や宗教に関連づけています。例えば「世界の中心を目指して東へと進んだ」のは、神武東征(カムヤマトイワレヒコが日向から出発し、瀬戸内海を東へ進んで畿内に入ろうとしたが阻止されたので、一旦南へ下り、熊野から紀州に上陸してヤタガラスに導かれ奈良盆地に入りそこを平定して、樫原の地で即位し神武天皇となったという神話)と関連があるのではないかとか、東を目指して行くのは浄土教(法然が開いた浄土宗および親鸞の弟子達が形成した浄土真宗教団)の影響ではないか、とか。
う~ん、苦しい。
何故、記紀神話と浄土教信仰が合成されなければいけないのか。
記紀神話では世界の中心は畿内であって、そこからどこかへ行く場合は必ず世界の中心から離れていく事になりますが、そうするとズニは世界の中心である畿内から離れていったのに、何故別の場所に世界の中心を見つけられたのか。
それに、そもそも浄土教の信仰は「西方浄土(さいほうじょうど)」すなわち世界の西の方にあって阿弥陀如来が主宰する極楽浄土に「南無阿弥陀仏」という信仰告白をする事で来世に生まれ変わるというものであって、目指す方向が正反対です。東にあるのは薬師如来の「瑠璃光浄土(るりこうじょうど)」ですし、薬師如来はもっぱら現世利益、すなわち今生きているその場所で「病気を治してくれる」仏さまですから、わざわざ船を仕立てて行くような信仰は(あるのかもしれないけど)一般的ではないですね。
船を仕立てて旅立つ宗教行為は、しかし決して無かったわけではありません。というか有名なのがあります。南の海上にあるとされた「補陀洛浄土(ふだらくじょうど)」を目指して旅立つ「補陀洛渡海」というとんでもないものがありました。小さな船に30日分の食料を積んで、補陀洛浄土を目指す僧が乗り込み、蓋をしてしまいます。もう中からは出られません。補陀洛浄土に無事到着して観音様に空けてもらうか、道半ばで息絶えるか。以下、ご参考までにリンクをつけましたが、これは何というかエグいですね・・・・。
http://www.mikumano.net/meguri/fudaraku.html
http://www.kiimr.jp/nachikatsuura/fudarakusanji/
http://www.bell.jp/pancho/travel/kumano%20sanzan/fudarakusanji.htm
しかしこれは目指す方向が南な上に、基本的に一人で行きますからね。出発地点は紀州の串本や四国の足摺岬なんで、たいがいは黒潮から北太平洋海流に運ばれて、運が良ければ死体を乗せた船がカリフォルニアあたりに漂着したでしょうけれども。さらに「日が沈む世界の海」という出発地点そのものが、太陽神アマテラスの子孫カムヤマトイワレヒコが治めた日本とは対立します。まして浄土教の信仰は夕陽の向こうに極楽浄土を見るわけで。
というわけで、2章での論考は・・・・不可ですね。論理展開が粗雑に過ぎます。
次章以降に期待して参りましょう。
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画像は奈良盆地の西の際に立つ古刹、当麻寺です。このお寺は阿弥陀信仰が有名で、極楽浄土を描いた「当麻曼陀羅」のオリジナルを所蔵しています。
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