『ズニ族の謎』精読(3-4章)

イメージ 1

 3章ではまずズニの先史時代の歴史が概観されます。内容は

・ズニは幾つかの部族が融合したものであり、少なくとも二つの系統の文化が合流したと推測される。これは14世紀前半である。
・14世紀後半には、それまで小規模な村に分かれていたズニが9つの大きな部落に統合され、また大幅な人口増が見られた。
・同じく14世紀後半にはそれまでの土葬に加えて火葬も行われるようになった。
・同じく14世紀後半には施釉土器が焼成されるようになった。
・同じく14世紀後半には灌漑技術が発達し、玉蜀黍農業の生産力が飛躍的に伸びた。

このような劇的な社会構造の変化の理由を、著者は日本人集団の入植とズニへの融合に求めようとします。しかしズニが住んでいたのは現在のニューメキシコとアリゾナの州境付近であり、太平洋岸からはおよそ1200kmほど内陸に入らなければなりません。ですがこの頃すでに太平洋岸のアメリカ先住民とズニの間には活発な交易が展開されていたので、仮に日本人集団が太平洋岸からズニの地に移動しようとしたとしても、さほどの困難は無かったであろうと著者は主張します。

 次の4章では、日本から北太平洋ルートで14世紀に現在のカリフォルニアまで行けたのかどうかの検討です。

 まず、冒頭では、アメリカ西海岸各地から、日本や中国で製造されたモノ(貨幣・陶器・鉄製品など)が大量に出土している事が示されます。層位(土の中の位置)的にもヨーロッパ人の来航前の層から出たりしているのですが、この地域には層位を乱す土中の生物が居ることもあり、それがいつ伝来したのかについてははっきりした事は言えないようです。もちろん難破した船が漂流して来た可能性も捨てきれず、ある研究者によれば100年あたり15艘前後のアジアの船が北米大陸西岸に漂着していたのではないかとも推測されているのだそうです。

 次に偶然の漂流ではなく計画的に日本から北米まで渡れたのか、渡ったのかの議論になるのですが、もちろん明確な文献上の記述も無いですし物証も無いですから、この章での議論は可能性の検討に留まります。著者は東南アジアで漂流を開始したアヒルのオモチャが北米に漂着した例なども挙げて北太平洋海流の存在を強調します。

 しかしここで私のいじわるな目は事実誤認を発見。

 著者デーヴィスはベン・フィニーの著作を何冊か挙げ、ハワイ・北米間航路があったのではないかというフィニーの説を示し(当然ハワイ入植後ですから、時期的には14世紀にもかかってきますね)、ハワイと北米の間は船で人が行き来していたと言います。その際に1995年にハヴァイロアがトリンギットやハイダの地を訪れた例を出しているのですが、ここで減点1。ハヴァイロアはシアトルまで空輸されてそこからアラスカに向かっていますから。原著は2000年出版だし、ポリネシア航海協会のウェブサイトを調べればすぐに分かったはずなのですが。

 というわけで、3章と4章について検討してみました。この二つの章ではあまり具体的な論の展開が無かったので、著者の日本人入植説についての評価は保留です。ですが、とにかくこの著者は研究書や論文を徹底的に渉猟するタイプらしいので、書誌情報だけでも値段ぶんの価値があるような気がしてきました。

==
写真はヒロの港から見たマウナケア山。1980年、ホクレアはナイノア・トンプソンを航海士としてこの港からタヒチへと旅立ちました。

main page 「ホクレア号を巡る沢山のお話を」
http://www.geocities.jp/hokulea2006/index.html