レジャー産業としてのスキーはアルペン脳を脱構築した方が良いと思った件

24年ぶりにスキーに行って来ました。前回は大学4年の時かな、苗場か志賀高原です。安い学生向けの夜行バスツアーで、車内は行きも帰りもタバコの煙でひどい状態。最悪過ぎるくらい最悪でした。あれでもうスキーなんか行くかと思ったんですが、息子がどうしても連れていけというので、武蔵野線で武蔵浦和まで行って埼京線、上越新幹線と乗り継いで越後湯沢まで行って参りました。
滑ったスキー場は3箇所。初日はガーラ湯沢、2日目はかぐら(みつまたエリア)、3日目は神立高原。スノボの動きが読めなくて、苦労しました。
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24年前には見えていなかったスキーについての大事なことが色々見えた旅でした。
一番大きいのはこれ。

スキーが上手いということの意味が社会の中ではっきりしていない。
難しい場所を高速で降りられるのが上手いのか?
難しい場所で沢山曲がれるのが上手いのか?
前者ならターンは少ない方が正しい。ターンは制動でもあるからだ。
後者ならターンの技術は何でもいいはずで、高速で滑降するカービングターンが正しいという理屈にはならない。
速さとターン数の二つの尺度で上手さを判定する?
しかし初級者もいるゲレンデで上手い滑降をするとあぶない。周囲に恐怖感を与えるし、ぶつかれば大事故だ。反社会的だ。そもそも速度に快感を覚えない人にとっては、その上手さは無意味だ。目指す意味が無い。
自分にも他人にも危険ではない、安全な滑降を徹底出来る。
これが「スキーの上手さ」の要件として何故重視されないのだろう。速度とターン数と斜面の難易度で点数を競うアルペンスキー競技に惑わされすぎだ。
昔のスキーはここを理解していなかった。プレイヤーにとっての普遍的価値ではない、アルペン暴走族の価値観でしかない、難易度と速度とターン数を指標にして、レジャー全体がデザインされていたのではないか?
本来追求すべきだったのは、難易度速度ターン数を求めなくても楽しさが掘り下げられるデザインだったのではないだろうか? 
速さなんか要らない。
基本的な技術があればスキー場の大半を滑って回れるような回遊性。必要な場所に配置された休憩所とオペレーションの優れた接客サービス。つまりMTBクロスカントリーの発想。
クロスカントリーの発想で考えれば、寒い尾根筋に一休みできる、壁つきのあずまやがあったら、みんなそこでセルフィー撮ってアップするはずだから、ここに一つ作っておこうかとか、長くのんびりした林間ダウンヒルの中間点にカフェと雑貨屋を置いておいたらどうだろうとか、マーケティングの幅が広がると思うのですよ。
面白そうな林間コースこそ初級者でも行けるように設計しないといけないし、入門者やファミリー用のゲレンデに高速滑降が良いことだと思っている暴走ボーダーや暴走スキーヤーが流れ込んで来るようなゲレンデ設計は改めた方が良い。スキー場のゲレンデ分類も難易度別ではなく「出して良い速度域」のゾーニングで、ファミリー向けのゲレンデではオリンピック選手だろうが何だろうが徐行しなければ取り締まりに遭うようなのが良い。
要するにテーマパークです。テーマパークなら誰でも隅々まで見て回りたいし、それが出来る。利用者は平等で、危険行為は排除される。小さい子供のすぐ横を時速40キロでぶっ飛んでいく暴走スキーヤーやボーダーという光景は異常だと思わないと。その為にはアルペン脳は解体しないと。

そんなスキー場、あったら行きたいです。