私がなぜここまで茂在氏に手厳しいかというと、茂在氏が学問という制度を利用しつつ、学問のルールに従っていないからです。学問は物事の正しさを決定する一つの社会制度です。同様の社会制度には宗教であるとか常識であるとか実定法のような体系もありますね。
さて茂在氏は他の研究者たちを批判し、あるいは他の研究者の業績を利用して論を組み立てています。これは学問という制度に関わろうという身振りに見えます。ということは、少なくとも学問という制度から見た茂在氏の著述はどういったものなのかを示しておくべきだと思うのです。
このような古代史に関するロマンは果てしないものですが、それを語るのには学問以外にもいくらでもやり方があります。荒俣宏さんのように小説というメディアもありますし、司馬遼太郎さんのように旅行記というメディアもある。須賀敦子さんのような随筆だって良いでしょう。彼らの著述は学問とは別物として高い評価を受けていますし、学問の持つ限界(実証性・論理性)の向こうを垣間見るには、学問以外のメディアを使った方が良いと思います。