昨日は、このウェブログでも以前にお伝えしたホクレアを語る集会が、二箇所で開催されました。どちらも盛況だったようです。
鎌倉の極楽寺近くで開催されたのは、北山耕平さんと内田正洋さんの話を聞く会。北山さんのウェブログに報告があります。
北山さんの「太陽の子として自らをアイデンティファイしている民族は世界各地に無数に存在する」という指摘は色々な意味で重要ですね。私は以前から「カマ・ク・ラ」プロジェクトの日本人スポークスマンのお二人の語り口の中に、今ひとつ自分たちのエスニック・アイデンティティやローカル・アイデンティティを相対化しきれていないものを感じ続けているのですが、北山さんのこの指摘は、非常に洗練された形で日本国とその国民を相対化しているように思えます。
「カマ・ク・ラ」プロジェクトの二人のスポークスマンに私が感じ続けている違和感とは、端的に言ってしまえば「あなたたちはいかなる資格でわたしたちの代表として語っているのか」ということです。お二人の掲げる理念は大変に美しいものですし、プロジェクトは失敗するよりは成功した方が良いと私も思っています。
ですが、このプロジェクトの理念が語られる時に、その語り口の中で「日本」という言葉が安易に使われすぎているのではないかと感じるのです。たしかに日本国内に多数の賛同者を持つプロジェクトなのだと思いますが、日本(日本国なのか日本列島なのかも曖昧ですけれども)を代表する、日本を象徴するという気負いが少々強すぎるのではないか。どこかのウェブログで「カマ・ク・ラ」は沖縄もアイヌも無い、みんなの船だと主張されていたのですが、それはどうか。
私もある意味でマイノリティでもある障害者研究をしていますから、マイノリティのコミュニティに接する難しさは肌で感じています。一番彼らの神経を逆なでするのは、マジョリティがマイノリティを代弁して語ってしまうことなんですよ。「カマ・ク・ラ」を日本列島住民全てを代表する航海カヌーとして位置づけるのであれば、そしてその際にアイヌという言葉にも言及するのであれば、各地のウタリを回って同意を取り付けておくべきなんじゃないのかなと。
横浜のシンポジウムで拓海さんが話して下さったのですが、80年代以降にヤップで建造された2艘の航海カヌーのうち最初の方、今は兵庫県にある「ペサウ」は、ヤップではそれを建造したガアヤン酋長とタマグヨロン酋長個人の船と認識されていたそうです。それで2艘目、今度はヤップ島全体を代表する航海カヌーを造ろうという話になった時に、ヤップ島内の全集落のコンセンサスを取り付けるのに一番時間がかかったと。3年くらいでしたか。ですが、そのステップを踏まなければムソウマルは「ヤップ島を代表する/象徴する航海カヌー」にはなれなかったわけですよ。
私は「カマ・ク・ラ」は内田さんとタイガーさんと西岡さんと、その仲間たちの航海カヌーだと認識しています。少なくとも私は、一人称複数形で「わたしたちの航海カヌー」として「カマ・ク・ラ」を認識してはいない。「海人丸」が「荒木さんとその仲間たちの航海カヌー」であるように。でも、それで今のところは充分じゃないでしょうか。
もう一つは周防大島で開かれた氏家さんの講演会。
こちらは具体的な報告はこれからのようですね。周防大島はホクレアが去った後も継続的にイベントが行われていて、大したものだと思います。小さいコミュニティだけにグッと凝縮された感じで盛り上がっていたからかな。