1月12日より、ハワイのマリタイム・センター(アロハ・タワーの前)で「The Canoe: An Alaskan and Hawaiian Tradition」と題した特別展が開催されています。テーマはハワイとアラスカの先住民のカヌー造りの類似点と相違点。もともとこの二つの地域には古代に交流があったのではないかという噂が絶えません。あったと断言は出来ないまでも、例えば北米の太平洋側に住むある部族が、何故かポリネシアのものに似た造船技術を持っているという論文も出ています。こちらの記事で紹介しましたね。
他にも、双方の口承の中に、それくさい所に行って帰ってきたとも解釈出来るような部分があるとか。もちろんカヌー造りの技術やカヌーに関わる思想の面でも、似ている所がある(ただし、似ていないところもある)。で、今回はそういった色々を特別展で比較してみようじゃないかとなったのだそうです。
ところでこの特別展を紹介するホノルル・アドバタイザー紙の記事の中で、ああやはりと思った部分があります。アラスカからバイロン・マロットさんがいらしていたということ。ホクレアがホノルルを出航する際、荒木汰久治さんの日記によれば、荒木さんの前に「アラスカのバイロン」なる人物が祈りを捧げたとありました。
「アラスカのバイロン」?
真っ先に私が思い出したのは、1990年にポリネシア航海協会にスプルースの巨木を無償提供したクリンギットのセアラスカ社のリーダー、バイロン・マロット氏。この木が後にかのハヴァイロア号になり、ナイノア氏に「与えることこそ富である」という思想をもたらしたわけです。しかしバイロン・マロット氏はもうそれなりの年齢ですし、ご子息がハヴァイロアに乗って遠洋航海に参加したという話は聞いていますけれども、ご本人がホクレアに? と思っておりました。
しかし甘かった。荒木さんとともにホクレアで嵐のアレヌイハハ海峡を越えたのは、まさにそのバイロン・マロット氏でした。記事によればバイロン氏は現在、ポリネシア航海協会の理事でもあるそうです。