フラや和太鼓の披露も終わり、いよいよ餅投げです。餅投げってポピュラーといえばポピュラーな気もしますが、どうなんでしょうかね。私の実家(三河)では祭のお約束だったのですが、東京に出てきてから見たことが無いな。ともかくステージ(実はただの防波堤の一段高くなった部分)にクルーが上がって、おっとまずは和太鼓をクルーに叩かせるんですか? ポリネシア文化センターで日本人観光客がトンガかどこかのドラムを叩かされつついじられるあの光景の日本版ですね。司会の米沢さん強いです。インチキ英語なんですが有無を言わせずクルーにバチを持たせます。
まあでも結構さまになってましたよ、ええ。ここまで各地で和太鼓見てきたでしょうからね。もうだいたい雰囲気は掴めてるんでしょうねえ。と、ふとホクレアの方に目をやると、船を揚げるスロープのところで缶ビールで酒盛りしている一団がおります。真ん中にいるのは、あれはどう見ても内田正洋さんです。存在感はナイノア氏の100倍くらいあります。でも花束を置き忘れちゃだめですよ(酒盛りをしていた後にぽつねんと花束が落ちていて、子供たちが不思議そうに眺めてました)。
餅投げが終わるとだいたいイベントも終了です。クルーもそこらをぶらついて雑談に花を咲かせています。米沢さん製作のホクレアの模型は内野さんやカイウラニさんに人気。と、堤防の上でひとりぽつねんと夕焼けに染まる海を眺めている哀愁の背中があります。あれは・・・・ナイノアさんじゃないですか。忍者のように存在感を消せる人ですね。私はナイノアさんに近づいて話しかけました。
「ナイノアさん、そういえばヨシ・カワノさんはどうやらこの島で生まれられた可能性があるみたいですよ。」
「ん? いや、それは違うな。彼はハワイ生まれなんだよ。」
「(ああ、そうか、カワノさんのルーツが山口というだけだった)ああ、そうでしたね。間違えました。実は・・・」
ここで内田さんと地元の方々がナイノアさんに近づいて来られたので私は話を中断しました。地元の方が自己紹介をしています。
「私は松本と言います。実はカワノ・ヨシオさんのことで・・・」
おお、「鯛の里」の松本さんじゃないですか。ならば話が早い。私はその場から少し引いてナイノアさんと松本さんを見守ります。やがて二人の会談に気付いたのか、カメラマンが二人(や内田さんたち)を取り囲みます。松本さんとナイノアさんのお話はかなり長く続き、メディアも続々と二人の周りに集まって来たので、私はお二人から離れてホクレアの写真などを撮りに行きました。夕陽に染まるホクレア。やはり良いデザインですよ。ハーブ・カネさんのデザインは名作と言って良いですね。
堤防の上ではニコンのデジタル一眼とライカM6を持った白人の女性カメラマンが写真を撮っています。「良いカメラ持ってますね」と話しかけてみると(相手の機材を褒めるのは写真愛好家のイロハのイ)、例のハワイアン航空の機内誌「HANA HOU!」の取材の方でした。名前を聞かれたので「加藤晃生です」と言うと、「その名前はどこかで見たわね・・・・あなた、ポリネシア航海協会ブログに色々と書いてた方?」と。当たりです。
実は米軍基地の軍人さんたちが日本語情報だけでは困るんで、英訳して投稿してたんですよという話をすると、「それは大事なことよ。私も色々な方と話をしたいんだけれど、どうしてもお互いの言葉がわからないからスムーズにいかないの。」と言われました。そうだよなあ。せっかくこれだけ周防大島町の方々が集まられても、どうしてもクルーと色々話せるのは限られた人間だけになってしまいますからね。例えば通訳ボランティアみたいな人たちを組織して交流会場にある程度の数を入れるとか、今後の寄港地では対策があっても良いかもしれません。
ようやく松本さんとナイノアさんの話が終わったので、松本さんにご挨拶しました。その後のカワノ・ヨシオさんリサーチについては、公文書で追える情報については公開するけれども、それ以上のことはプライバシーにも関わってくるのでナイノアさんにしかお教え出来ないとのことでした。少なくとも既に公表された以上のことは解っているけれども、その内容は一切明かせないと。これはとても正しいやり方だと思いましたので、私もそれ以上は何も聞きませんでした。あとは松本さんたちとナイノアさんだけが知っていれば良いことです。また別の言い方をするならば、カワノ・ヨシオさんやその先生だった方が本当はどこの出身、どこの系統の方であったかなど、もはや大きな問題では無いんです。大事なのは、そうしたことがきっかけで松本さんたちがまた色々と郷土について知ることになり、またハワイ、そしてホクレアという船への親近感を持たれたという結果の方です。
カワノ・ヨシオさん探しについては、ですからこれにて私の興味は完了。事実はどうあれ良い副産物を色々生み出したんだから、それでよしとします。
いよいよ日が暮れて来ました。そろそろ宿に戻らねばなりません。日が落ちるまでには辿り着けないでしょうが、何でしょうかねえ、実物のホクレアを見た高揚感のせいでしょうか、私の脚は殊の外軽く回り、ぐいぐいと自転車を加速していったのでした。
明日はホクレア見学会と講演会です。明日も(今日ですね既に)色々な知り合いが周防大島にやって来ます。楽しみ。