J-WAVEという東京のFM局で放送している「Colors of Hawaii」という番組が今週はホクレア特集をしておられるようです。いやあ、うちは聞けるんですけど、聞いてないです。明日から聞いてみよう。13時15分からの15分間だそうです。憶えておこう。
とはいえ、番組のウェブログに取材の様子がかなり詳しく出ているので、こちらを見るだけでもなかなか。この記事はホクレアのホノルル出航の様子です。
http://www.j-wave.co.jp/blog/mp_hawaii/archives/2007/01/post_331.html
ここに写っている人々の中に内野かな子さんや荒木汰久治さんもおられると思うのですが、みんなサングラスかけてるし、みんな真っ黒に日焼けしてるし・・・・・わかんねーよ!!
それにしても、ナイノア氏の新妻のキャシーさん(ポリネシア航海協会の英語ウェブログでもちょくちょく記事を書いておられる方だと思いますが)、やはり心配なんですね。ナイノア氏ほどの超一流の航海者とはいえ・・・そりゃそうだろうなあ。
そういえば少し前に紹介した、ショーティーさんがお孫さんを抱いておられる写真。あれを見て今更ながらに気がついたことがあったんですが、このキャシーさんの話を読んで、それをまた思い出しました。
1980年のホクレアのタヒチ航海。つまりナイノア氏が自らの考案したウェイファインディングの技術を用いてタヒチまでホクレアを導けるかどうかという実験航海。この往路でショーティーさんはクルーの一人として搭乗しておられました。ショーティーさんは1976年のタヒチ航海往路にも搭乗された、言わばベテランのクルーでした。
ホクレアがヒロを出航して11日目。ハワイのポリネシア航海協会本部から無線連絡が入ります。以下『星の航海術をもとめて』からの抜粋になります。
…11日目の朝、ポリネシア航海協会事務局長のマーリン・アモンから連絡が入った。彼女はKMI経由の無線で、私たちに告げた。
「3月24日の午前11時51分に、カイナル・バートルマンが生まれたわ。体重は6ポンド5オンス。身長は19インチ半。母子共に健康。」
すぐさま我々はホクレアを呼び出した。このメッセージをショーティー・バートルマンに伝えたのはリーである。しかし彼の返事は無かった。胸がいっぱいになっていて、答えることが出来なかったのだ。彼の家族はあまりにも遠い場所におり、彼は茫漠たる大海のただ中にいた。…
つまり、ショーティーさんは臨月の奥様をハワイに残してホクレアに乗ったということです。これはねえ、なかなか出来ることじゃないと思いますよ。ショーティーさんが家庭を顧みない男だったなら話は別ですが、この文章から考えてそれはあり得ない。一体、どんな気持ちでホクレアに乗っておられたのか。
実は私も今、妻が妊娠後期に入っています。だから全く家を動けない。本当はね、私だってハワイとかミクロネシアとか今すぐにでも行きたいんですよ。「アラトリステ」の翻訳もうっちゃってね。でも、それはちょっと出来ない。憚られるというよりも自分自身の気持ちとして出来ません。でもショーティーさんは行った。それも飛行機に乗ってどこかに行くどころの騒ぎじゃない。全長19メートルの吹きさらしの航海カヌーで4000キロの船旅です。外部との連絡は取れません。奥様と無線で話をすることさえ出来なかった(そういう設備がそもそもホクレアには無かった)。いざ何かあっても、すぐさまハワイに飛んで帰ることさえ不可能。
どれほどの決断だったのかと思いますよ、ええ。それだけあの航海が重いものだったということでしょう。エディ・アイカウの鎮魂とハワイの航海カヌー文化の再生をかけた一発勝負。凄い勇気の持ち主です。お孫さんを抱いておられるあの柔和な表情からはなかなか想像出来ないことですが。
だからこそ、あの独特の出航の儀式が重要なんでしょうね。改めて船に乗る人々と陸に残る人々の絆を結び直してから旅立つという、現代ハワイ独特の出航の儀式。ああいう部分にも私たち日本列島人は学ぶべきものがあると思いますね。