内野さんのウェブログ更新

 内野加奈子さんのウェブログがどかっと更新されています。

ホクレア、日本へ
内野加奈子

 内野さんのウェブログもそうですし、ポリネシア航海協会の英語ウェブログを訳していても思うのですが、この日本航海はホクレアのクルー側では日本の風土や伝統文化の良さを発見する旅、そして核兵器を使うとはいかなることなのかを知らされる旅になっているようですね。

 ご存じのように私は原子力発電絶対反対という立場ではないですけれども、核エネルギーが好きなわけではもちろん無くて、特に核兵器はこの世の中に不要なツールだと思っています(対人地雷やクラスター爆弾、生物兵器、化学兵器も)。やはり学校で習いますからね、広島や長崎の話は。広島に原爆を落としたエノラ・ゲイという名のB29型戦略爆撃機の個体が戦勝の記念碑扱いされているアメリカ合衆国との意識の差は大きいというべきでしょうか。

 核については色々と私も考えさせられています。このホクレアの日本航海に。ホクレアが立ち寄った祝島の近くでは上関という土地に原子力発電所の建設計画が持ち上がっており、櫂伝馬船を出された方々もそれには概ね反対しておられるそうです。一方私はホクレアという船と上関原子力発電所建設計画への反対運動を等号で結ぶのは行き過ぎではないかとこのウェブログに書きました(これはかなり物議を醸したらしいですが、詳しくは知りません)。

 あるいは六カ所村の使用済み核燃料再処理工場。その問題を取り上げたドキュメンタリー映画の上映会とホクレアについての会合が各地でセットになって行われもしました。それについても私は若干の疑問を感じていました。反対の立場の人でホクレアを応援したい人はどうすれば良いんだろうと。

 繰り返しておきますが、私は原子力発電積極推進派ではありません。出来るだけ原子力発電所の数は減らした方が良いと思っている。ですが、上関原子力発電所建設賛成の方や六カ所村使用済み核燃料再処理工場操業賛成の方がホクレアを応援するのは論理矛盾ではないと思っています。核兵器と原子力発電所はかなり違う性格のツールですからね。

 ここの所は私たちはもう少しきちんと考えてみるべきだと思います。核兵器と原子力発電所を同じものと見て議論すべきではない。結果的にどちらにも反対するのは良いです。ですが議論の過程は別々であるべきだし、別の意見の持ち主の存在をも許容する度量を持っているべきでしょう。

 核兵器についても色々と思うことがあります。もちろん私は核兵器は無くなった方が良いという立場です。が、どうやってその数を減らしていくかは現実的な議論が無ければ話にならないと思う。核兵器は今すぐ無くして下さいと触れて回るだけでは少なくとも無理です。ホクレアのクルーのように、いい大人でも核兵器がもたらす惨禍の恐ろしさを今まで知らなかったという人間は世の中にうじゃうじゃいますから。

 広島や長崎の方々がやっておられるように、核兵器の恐ろしさを広く学習してもらう活動は更に広げていくべきですし、同時に核兵器の数を少しずつ減らしていく方法を社会科学的に研究し、さらに北朝鮮やイスラエルのように死なばもろとも道連れ自爆装置として核を持つような魂の歪んだ国家を作り出さない政治戦略も、やはり社会科学的に研究していかなければならない。そして私たちはそういう活動や研究にお金を出していかなければいけない。

 といってもそんなに難しいことじゃないんです。例えば今回図らずもホクレアの航海は、英語圏に対しては核兵器廃絶の静かなアピールとなりつつあります。ということは、私たちがこれまで寄港地で、あるいはホクレア基金を通して行ってきた援助が、そのまま核兵器廃絶への一手となっている。

 そうやって間接的にでも継続して関わっていくことが大事なんじゃないかと私は思います。そして、その際。これはあくまでも私見ですが・・・・対立する意見の存在を封殺しようとしたり無視したりするような運動よりは、そういったものをも一旦受け止めて、そこから意見の食い違う点を落ち着いて摺り合わせていくような懐のある運動にお金を出した方が、良いように思います。

 何故かって? いくら平和だの核兵器廃絶だの掲げていても、自分と異なる意見の持ち主にいちいちキレているような人たちの心の中には、結局のところ平和が無いからですよ。会長が繰り返しおっしゃっているじゃないですか。平和は一人一人の心の中から始まるもんだって。心の中に平和が無い人間が平和を創造出来るわけが無い。私、おかしなこと書いてますかね。