沖家室の寄り合い(その6)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

 さて、そろそろ宴会も終わりです。松本さんはハワイ州観光局の方に「釣りはどうしますか?」と話をしています。本当は松本さん作のかむろ針で、実際に沖に出て一本釣りを体験させたかったようですね。ハワイ州観光局の方は平身低頭して「申し訳御座いませんが、もう時間が・・・。」と謝っておられました。本当に時間が足りない。そう思います。

会場を辞す際にナイノアさんは、給仕をしておられたおかあさんたちとも一人一人握手して別れを告げておられました。まさに気配りの人です。おかあさんたちもニコニコ笑って送り出しています。きっと、子供や孫たちが遊びに来たみたいな感覚なんでしょうね。「また、来て下さいね。」なんておっしゃってます。

「トンプソンさん、皆さん、またお会いしたいと言っておられますよ。」
「もちろん。(私に向かって)皆さんは私の妻が平郡島の血を引く人間だということを知っていますか?」
「さて、どうでしょうかね。(おかあさんたちに向かって)この人の奥さんは平郡島から移民した人の子孫なんですよ。」
「へえ、平郡。すぐ隣ですね。」
「しかも美人らしいです。元モデルで・・・。」
「あら、まさか貴女が?」

といっておかあさんたちはナイノア氏の隣におられたカイウラニさんを見ています。笑いながら否定するカイウラニさん。

「イエ、(ナイノア氏は)センセイデス。」
「ああ、先生。」
「この方の奥さんはハワイにおられます。」
「ああ、なるほどねえ。」
「それじゃまたねえ。」
「Yeah. With my wife.」

私は聞きましたよ、ナイノアさん。「次は妻を連れて来ます。」と確かにおっしゃいましたね。それはそうしなきゃ駄目ですよ。もっとゆっくり滞在して、かむろ針で釣りなんかもしてね。おとうさんたち、おかあさんたちの話をもっとじっくり聞かないと。

ちなみにおかあさんたちにも少しだけお話をうかがうことが出来ました。

「おかあさんたち、ハワイに親類はおられますか?」
「だいたいみんな居るよ。」
「仏さん(位牌のことでしょうか)も預かっとるし。」
「ハワイに持って行かなかったんですか?」
「亡くなった方が、よほど沖家室が好きじゃったんじゃろうね。」
「まあ親類はおるけど、何十回忌かの法事をしたら、まあこれで最後にしましょうって話になるね。」

次第に切れていく沖家室島とハワイとの縁。ナイノア氏御夫妻によって再び繋がることは出来るでしょうか。一行は最後に、かつてハワイから沖家室島の小学校に贈られたというピアノを見学して帰路に就きました。今や沖家室島に子供は3人しかおらず、この小学校も廃校となっています。漁師のおとうさんたちが若かりし頃は段々畑で裸麦を作っていた山々も、今は再び森に還っています。このまま沖家室400年の歴史は閉じてしまうのかもしれません。

沖家室島からの帰り道、佐連と地家室の間の堤防に腰掛けて休むおばあさんに出会いました。

「どうされたんですか?」
「歩いとるの。」
「地家室まで行かれるんですか(結構あるぞ)?」
「いえ、あそこの(佐連)までこれから戻るところで。」
「元気ですねえ。お幾つですか?」
「幾つに見える?」
「70。」
「(笑)それよりずっと上。85。」
「今日はまた何で歩いておられるんですか?」
「医者に言われてね。歩いて痩せないとって。それでずっとあそこからここまで歩くようにしとるの。最近、かなり調子が良くなって来てね。もう少し元気になったら、ボランティアでもしようかなって。」
「やっぱり体は動かしてないと駄目ですよね。私もこうやって(自転車を指さす)メタボリック症候群と戦ってます。」

ホクレアを知っているかは敢えて尋ねませんでした。このおばあちゃんにとって今の目標は、体をもっと鍛えてボランティア(!)をすること。それで充分じゃないのかと感じたんです。

さて、いよいよ明日はホクレア出航です。