あるくみるきく真似その3

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 椋野漁港についてみると、まさに見学会の真っ直中でした。船首ではロコのクルーが、船尾では荒木さんが説明をしているようです。ホクレアとカマ・ヘレはポンツーン(岸壁から突き出した接岸用の埠頭)の両側に停泊しているのですが、このポンツーンの上には人がいっぱい並んでます。子供連れのお父さんお母さん、そして面白いことにおじいちゃんおばあちゃんも沢山来てらっしゃる。少し話を聞いてみましょうか。

「私は嫁がハワイから来たんですわ。」
「2世の方ですか?」
「そうそう。マウイから。ハナレイね。この1月にもハワイ行ってきたよ。もう10回目。」
「島の方ですか?」
「いや、あっちの方(本州の方を指さす)。」
「ハワイには親戚が沢山居ってね。ホノルルにも2軒あるよ。岩国の海兵隊の基地があるところね。岩国の海兵隊は主にそこからこっちに来よるんよ。」
「1月には奥さんと二人でハワイに?」
「いやあ、妻は5年前に死んだんで、私一人で。マウイに(妻の)弟がおるんでね。」

 なるほど。ハワイというだけで凄く親しみが沸く土地柄なんですね。乗船待ちの人混みの脇ではクルーが何か作っています(画像参照)。

「何作ってるんですか?」
「エヒメマルのセレモニーに使うんです。」
「それはハワイの伝統的な儀式の道具なんですか?」
「いや、これはボクが今発明したもの。」

 このお兄さんの隣にはお姉さんもいらっしゃったので、そちらにも話を。

「岩国基地って知ってますか?」
「岩国? 何ですかそれ?」
「海兵隊の基地がすぐ対岸にあるんです。」
「知らないですね。私は軍隊が嫌いなんです。特にアメリカ軍はね。憎んでます。私はアメリカ人じゃなくてハワイ人ですから。」

 見た目は完全に白人なんですが、そんな激しい感情があるんですね。でも米軍の軍人さんの中にもホクレアのファンは居るんですよ・・・・。

 あっ。今そこのあなた(画像のお兄さんではありません)、タバコの吸い殻を海に捨てましたね? 見ましたよ私は。ホクレアのクルーがそんなことして良いんですか? あなた昨日は公園で吸い殻をポイ捨てしてた人でしょ。こうやってナイノアさん以外を観察しているウォッチャーも居るんですからね。しかもブロガー(笑)。あとでナイノアさんか誰かにそっと注意しておいた方が良さそうですね。

 さて、そろそろ乗船の列に並びましょうか。と、真っ直ぐ私の方に向かってくる見目麗しい妙齢のお嬢さんが。

「あの~、カヤックビルダーの洲澤さんってご存じですか?」
(尋ね人かよ・・・ちぇっ)
「名前は存じ上げております。」
「今、どちらに居られるか判りますか?」
「クルーに同行しているのなら、おそらく宿舎ではないかと思いますが。あそこのグリーンステイながうらという所です。」
「ありがとうございました。」

 何で私に尋ねるんでしょうか? きっとまた西岡正三さんと間違えられたんですね(笑)。あ、でも「加藤さんですよね?」と声をかけて下さった方も何人かおられましたよ。ここで広島こども文化科学館のM氏と合流。M氏は妻子を連れての見学でした。さて、いよいよ乗船です。まずは船首で荒木さんの話を聞き、次に船尾でロコ・クルーの話を聞くという流れです。1回の乗船は30分。現場で仕切っておられた米沢さん(ホクレアの模型を作られた方)の話では、それくらいたっぷり時間を取れば皆さんに満足してもらえるだろうとのこと。

 荒木さんは自己紹介では自分は話し下手だとおっしゃって、「だから講演みたいなのはカナちゃんに任せてるんですよ。」と言いますが、どうしてどうして堂に入った解説です。まず簡単なウェイファインディングの概念を紹介し、次に荒木さんとホクレアの関わりを通してホクレアの航海の意味を語るという流れです。

「この航海はヤップから沖縄までの外洋航海と、沖縄から先の沿岸航海に分けられます。ヤップから沖縄までは冒険です。そして沖縄から先は、そこで得たものを伝える航海だと僕は思っています。ヤップから沖縄までは本当に厳しい航海で、僕は30回以上も吐きました。そして最後は凍えるような寒さ。僕は調理担当だったんですが、僕は昆布とか鰹節とかイリコを持ち込んで、日本ではダシの素なんか使わずにきちんとダシをとるんだということをクルーに教えました。航海の最後の方はもう食糧が尽きてきて、最後に僕はカレーライスを作ったんです。それが船の上では一番のご馳走でした。ですが、それを食べたらもう沖縄に着くまで2日間くらいはカップラーメンだけでした。でもそのカップラーメンさえ、僕は満足に食べられませんでした。(船酔いで)吐いちゃうんです。最後に沖縄が見えた時はね。昔の人が船で島を見つけるというのはこういうものだったんだと思いました。本当の感動ってのは体に来るんです。人間の体は海と同じです。繋がっています。だから波もあります。僕が沖縄を見た時、足の先から徐々に感動が波になってあがってきて、最後に頭に達する。そしてそれで終わりじゃありません。また波が戻っていって、また押し寄せてくる。僕はホクレアで日本を見つけるのがこの9年間の夢でした。その夢以外のことは全て切り捨てて生きてきました。ホクレアで航海をするというのは怖いです。もの凄い恐怖なんです。恐怖に打ち勝つのは勇気です。でも勇気も恐怖に負けてしまうことがある。勇気を生み出すのは夢です。だから、恐怖が大きければ大きいほど、大きな夢を持たないといけない。船長のチャド・ババヤンがそれを僕に教えてくれました。実は、今夜、大島商船の生徒たちをこの船に招待しています。ここで泊まるんです。それで彼らも夢を手に入れてくれればと思っています。最初は10人の夢でも、それがどんどん広がっていって1000人にもなるんです。」

 みんな真剣に聞き入っています。荒木さんも真剣です。荒木さんの「これだけは伝えたい」という思いが痛いくらいに伝わってくる話です。

 荒木さんの話が終わると船尾に移動して、トイレの方法やステアリング・スウィープの使い方などの説明です。と、「Dr. Shehata」とかかれたケースを持った妙齢の女性が(画像)。まさか・・・・本当に妙齢の乙女ですよ。

「失礼ですがシェリー先生ですか?」
「ええ、そうです。」
「私は加藤晃生といいます。ポリネシア航海協会ブログの翻訳者です。シェリー先生がポリネシア航海協会ブログに投稿された文章も全部私が訳しています。ところで朝からチョコクレープをご賞味された件なのですが。」
「不健康よね~(笑)。」
「(しかもあなたはお医者さんだぜ)そうそう、『肉バナナ』というネタですが、日本人にはそのままでは通じないので、かくかくしかじかの説明を足す必要がありまして、小生もずいぶんと苦渋の選択を迫られました。」
「(笑)。」
「肉バナナ味のアイスを食べたテリーさんというのは女性ですか?」
「男性です(笑)。」
「先生はいつからこの船に乗っておられるのですか?」
「ミッドウェーに行った時ですね。」
「ああ、2004年のナヴィゲーティング・チェンジですね!」
「詳しいですね。」
「マニアですから。ホクレアの本も訳しました。でも実物に乗るのはこれが初めてです。これで夢が全部叶いました。」

 ちなみにホクレアのキッチンには見慣れたヤカンが。クルーにどこで買ったか尋ねたところ、ホノルルで買ったはずだがきっと日本製だ。素晴らしいヤカンだとのことでした。