あるくみるきく真似その2

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 島のこちらの側は、本州側とは違って平らな土地が殆どありません。だから走っているとこんな感じです。

岬→入り江(小さな川が流れていてその周囲に集落)→岬→入り江

 いくつかの岬を越えて小さな集落の中に入り込みました。例によって集落の中央には小さな川。少し川沿いに遡ってみると、稲の苗が苗代の中に入れられて置いてあります。こちら側では初めて見る稲です。田んぼが残ってるんですね。ため池などもあります。何か刈り入れをしてますね。稲なわけないし、何でしょうか。尋ねてみたら、小麦だそうです。でももう小麦なんか作っている所は殆ど無いよとおじさん(画像1・2)。

「今、ハワイから船が来とるで見に行ったらええ。」
「昨日見てきました。見に行きましたか?」
「うちに戻る途中で何か歓迎会やっとたからな。」

 なんとなく雰囲気が掴めてきました。とりあえずハワイの船という形で認識されているようです。おじさんたちに挨拶してさらに進みます。

 今度は少し大きめの集落に入りました。一軒の庭先でおばあちゃんが怪訝そうに私を見ています。そりゃあ怪しいですよね。挨拶して話を聞いてみました。おばあちゃんは大正2年生まれ。もう90歳くらいですね。この家は自分が生まれる前から立っていたものを建て増ししたもので、建物の前面は少し新しいのだとか。庭の松は昔近所で市が立った時に買ってきた苗を植えた。梅もそう。どちらも自分が子供の頃に植えたものだとおっしゃってました。この家の東側は昔はもう少しあったんだが、上にあがる道が狭いと言われて少し取り壊す羽目になったと。上にあがる? たしかに覗いてみると小さな道がついています。軽トラが何とか通れるくらいの道ね。

「知り合いでハワイに行かれた方はいらっしゃいますか?」
「ハワイじゃないけどアメリカには行った。母の兄がアメリカに行って、大学で勉強して帰ってきた。」

 大正2年生まれの人の叔父さんがアメリカ留学? 周防大島の方なんでしょうか。ここで家の方が登場。

「ここは戸田ちゅうんだけど、上の方に大きな家が沢山あるよ。」と山の方を指さします。山の上に家がある? 大きな家? 「その横の道で行けるわ。」と、先ほどおばあちゃんも言っていた道を今度は指さしています。何だかよく判らないのですが、面白そうなので山の上を目指すことにしました。もういきなりの激坂です。藪の中を軽トラ1台分の幅の激坂がうねうねと上っています。何があるのやら・・・・

 しかししばらく上っていると、本当に集落があるではないですか。しかも、確かに海沿いの家より断然立派なのです。ドカンと庭があって倉庫があって。なるほど、農家は山の中腹に集落を作り、多分海沿いの集落は漁業に携わる(携わった)人々の家なのでしょう。それにしてもこんな急な斜面によく集落を作りましたねえ(画像3・4)。おそらく昔は棚田(今は柑橘ばかりですが)で農業をやっていて、だから斜面の中腹に住むのが便利だったんでしょう。
 
 山の中腹には現在は広域農道が走っていて、これが山の中腹の集落の間を繋いでいます。集落と集落の間にはミカン畑が広がります。ミカンの花が丘の中腹に咲いていて、沖には船が浮かんでいるというあの歌のイメージそのままです。広域農道を走っていると放送が聞こえてきます。

「今日の1時半から大島商船でホクレア号来島記念講演会があります。どうぞご参加下さい。」

 そんなこと言っても、おじいちゃんおばあちゃんたちはミカン畑の手入れで忙しいわけですが、大丈夫ですかね? やがて麓に降りる道があったので広域農道から外れて海沿いの道に戻ります。こういう道が山の中腹と麓を繋いでいる。すごいでしょ(画像5)。これ舗装される前はただの獣道ですよ。

 そろそろお昼でお腹が空いたので、大島商船の手前にあった中華料理屋さんに入りました。客は私だけです。もう1時だもんね。固焼きそばを食べながらおばちゃんに話を聞いてみました。

「ハワイの船、見に行きました?」
「行ったよぉ。孫が出迎えしたからね。」
「ああ、保育園の子たちですね。」
「今日は孫が写生するとかいって行っとるわ。」
「保育園の子も写生ですか?」
「これは小学生の孫。昨日は孫がテレビに映るちゅんで12時まで起きて待っとったんよ。」(画像6)

 大島商船高専に到着してみると、ロビーではクルーが打ち合わせ中。ナイノア御大にカイウラニさん、内野さん、チャド・バイバイヤンさんの姿も見えます。視聴覚室の中は高専の生徒でいっぱい(画像7)。生徒に話を聞いてみました。

「サクラですか?」
「よく解っていらっしゃる(笑)。」
「これ聞かないとどうなるの?」
「授業欠席扱いっす。」
「ホクレア号って何だかわけわかんないでしょ?」
「いやあ、まあ何となくは・・・」
「ところでこの部屋暑くない?」
「暑いっすね(下敷きでパタパタ扇いでいる生徒もちらほら)。」
「ネクタイ外せば良いのに。」
「教官に怒られます。」
「教官って怖い?」
「無茶苦茶怖いですよ。携帯投げつけられたこともあります。」
(誰の携帯だろう?)

 見ていると、最初は高専の生徒ばかりでしたが、一人また一人と野良着にクボタやヤンマーの帽子を被ったおじいちゃんおばあちゃんがやって来ます。さてポリネシア航海協会の冒険譚は周防大島のお年寄りたちにどこまで通用するのか? 気になるところですね。にしてもこれクーラー入れた方が良いっすよ。暑い。

 ここで私は部屋から出てしまいましたが、講演会は例によって内野さんの通訳で始まったようです。大島町職員のSさんと頼まれていた翻訳の話を少ししてから私は椋野漁港に向かいます。