「気違い沙汰だ。何でこんなことになってしまったんだい?」

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 ガリー・クボタ記者の記事が出ました。表題の通り、クラブクロウ・セイルを装着したという記事です。でっかい画像2枚付き。

http://starbulletin.com/2007/03/06/news/story04.html

 ナイノア氏によれば、これはまず1976年の第一回タヒチ航海におけるマウ師の功績に敬意を表する為のものだそうです。

「これらのクラブクロウ・セイルは私たちがポリネシアの航海者であることの証左でもあり、またこうした伝統的なデザインの帆を用いることは、マウ先生への敬意を表し、またその功績を称えるためのものでもあるのです。同時に私たちは、クラブクロウ・セイルを用いて航海することで、世界で最も偉大な航海者たちであるミクロネシアの人々全体にも敬意を表すつもりです。」

 ナイノア氏によると、ホクレアがラテン・セイルに換装したのは1999年のラパ・ヌイ往還航海(Closing the triangle)の時で、それは帆走能力そのものよりも扱い易さ(というか事故の起こりにくさ)を重視したからだそうです。ブームが無いラテン・セイルを使えばブーム・パンチ(ブームがいきなり動いてクルーをぶっ飛ばす事故)も無いですからね。この時期のホクレアは子供たちや訓練生を乗せてハワイ州内を航海することが多かったですし。

 ホクレアがクラブクロウ・セイルに換装されたのに合わせて、クラブクロウ・セイルの扱いに慣れた往年のクルーも到着したとのことです。ビリー・リチャーズ氏、スネーク・ア・ヒー氏、ジョン・クルーゼ氏。アリンガノ・マイスにはホクレア建造から1976年往路までクルーのチーフを務めたキモ・ヒューゴー氏。

 それと、現在パラオをカットしてヤップから直接沖縄に向かうという案まで浮上しているそうです。そこまでするか。いや、本当に。そこまでするならいっそ日本航海を取りやめるとか、パラオから沖縄まで日本郵船に運んでもらうとか。その方が良いような気もしますがねえ。

 それから最後に、8年前にもマカリイでポンペイに寄港されたチャド・パイションさんが、8年前には2艘の漁船しか無かったコロニア港に今や大量の漁船がいて、近海の魚を見境無しに乱獲している光景に心を痛めておられるという話も。

「気違い沙汰だ。何でこんなことになってしまったんだい?」