「アラトリステ」翻訳FAQ

 「アラトリステ」シリーズの翻訳について、解りづらい部分を簡単に説明してみました。

Q1 何でチームで翻訳しているの?

A1 この場合、その方がクオリティが高くなると判断されたからです。そもそもスペイン語文学の中で現代スペイン文学は傍流というか、南米文学の方がファンも多いし実際に優れた作品(とされるもの)も多いので、南米文学の翻訳であれば専門家はおります。かつて加藤が大学院に在籍していた時、論文指導をしていた野谷文昭先生などがその代表ですね。

 しかし現代スペイン文学に正面から取り組む日本人翻訳家は殆ど居ない上に、「アラトリステ」シリーズの翻訳は広範な歴史・文化の知識が求められます。ところが現代の日本の文芸翻訳者は、文芸作品を大量に読んでいる方は多いですけれども、実証的な研究の訓練を受けた方は少ないですから、あるトピックについての現時点での客観的な知見を探索し、その信憑性を評価し、その内容を理解するという能力に劣る方が多いのです。

 一方、今回の「アラトリステ」翻訳チームの中には学部で西洋史、大学院では社会学や解釈学を学んで博士号を取得した人間も加わっています。またこの人間の博士論文を指導したのは組織神学(キリスト教神学のことです)・宗教学の専門家でした。さらに、翻訳チームには現在もスペイン在住の人間が加わっております。

 正直に申し上げて、翻訳作業の基礎となる近世スペイン文化・歴史・宗教の知識の探索という点で、このチームの能力を超える西日翻訳家は存在しないと言えます。

Q2 チームで翻訳すると訳文が支離滅裂にならない?

A2 学術書では章ごとに異なる研究者が翻訳をすることもありますが、「アラトリステ」では翻訳チームの全ての人間が全ての文章に目を通しております。また訳文の基本的な文体はチーム内の特定の人間のそれを採用しておりますので、章によって文体が異なることはありません。

Q3 一人では仕事が出来ない人達が集まってやってるんじゃないの?

A3 翻訳チームに加わっている人間には産業翻訳者として一人前と言いうる実績を持っている者もいれば、別の出版社から単独で翻訳書を出している人間もおります。また、原文において解釈が難しい部分については「意味の繋がりから見た解釈」「文法から見た解釈」の両側面から別々の人間がそれぞれの解釈を示した上で議論を重ね、最も妥当と思われる解釈を採用しております。こうした作業を行えるということは、単独での翻訳に対する明らかな優位点です。

 翻訳の信頼性を文芸翻訳以上に厳しく問われる産業翻訳において、こうしたチームによる翻訳がデファクト・スタンダードとなっていることから見ても、チームによる翻訳が品質において個人による翻訳に劣ると主張することは難しいのではないでしょうか。

Q4 複数の人間の解釈が入り混じってしまったら、作品としての統一性が失われるのでは?

A4 ポピュラー文化の生成・消費・受容プロセスの研究を専門とする研究者として加藤が申し上げますが、ここ数十年のテクスト論は、そういった「作者→読者」という単純な情報伝達図式に極めて懐疑的です。より解りやすい言い方をするならば、現在のテクスト論においては「作者の意図」がダイレクトに「読者」に伝達されることはあり得ないと考えられておりますし、そもそも「作者の意図」などというものが明確に、そして静的に存在するということさえも疑問視されております。文学テクストの意味は、物理的実在としての活字やフォントと、それを読み取り解釈する「読み手」との間で常に出来事として創出され続けている、というのが近年のテクスト論の主流的見解です。

 まあ、そういった難しい理屈は抜きにしても、「アラトリステ」においては原文において解釈が難しい部分についても議論の上である特定の解釈を採用しておりますし、それらの解釈が相互に矛盾を引きおこさないよう、チーム内のある特定の人間が最終的に全ての解釈を調整して、訳文に統一性を与えております。言い換えれば、チーム内のある特定の人物の解釈が、最終的には訳文の全ての部分に対して適用されているということです。

Q5 ヴィゴの映画とアラトリステのキャラが違うんだけど?

A5 ヴィゴ・モーテンセン氏が主演された映画「アラトリステ」は私たちが翻訳している本をもとにした二次創作物ですから、映画の解釈を訳文に反映させることはありません。「アラトリステ」シリーズは映画のノベライズでは無いことをご理解下さい。