図書館で『The Art of Hula』という本を借りてきました。
アラン・セイデン著、矢口祐人、山口かおり訳。アップフロントブックスという所が今年出した本です。お値段は3600円+消費税。
内容はフラの歴史と現在についての概説ですが、フラに関わる様々な図版(古いスケッチからポストカード、現代の写真や絵画作品まで。ポリネシア航海協会創設者の一人、ハーブ・カネの作品も何点か)がフルカラーでお金をかけた印刷によって収録されていますので、見ても楽しいです。訳者の一人が東京大学大学院助教授でポリネシア地域研究の矢口祐人さんですから、内容の方も非常にしっかりしたもので、的確な訳注が要所要所に入っていてうならせます。
例えばフラに使用される楽器や楽曲が、フラ文化内では楽器とか楽曲と認識されていない、つまり西洋的な音楽の概念を受け容れていないので、あえて言うならば楽器instrumentではなく道具toolなのだとか*1。
さてその本の中にも、カヌーについて歌ったフラの詩が2篇収録されていました。
一つは火の女神ペレがタヒチからハワイに渡ってきた物語を歌った「Ka Huaka'i a Pele」。もう一つはマルケサス諸島のヌク・ヒヴァとタヒチのボラボラ島の間の航海を歌った「Hula Hoe」。
「Ka Huaka'i a Pele」
カヒキから女神ペレがやってきた
ポラポラの地から
カーネの神の赤い霧が立ちこめるところから
空に輝く雲が立ち上り
水平線を覆うところから
ハワイへの思いにペレはたまらなくなった
カヌーも出来上がっている
ホヌアイアケア号、ペレよあなたのカヌーだ
おお、カモホアリイ(航海神)、このカヌーで遠く離れた地に導いてくれるのか
気高き神々に守られ、準備は万端
聖なる土地の創造者ペレよ
あなたのカヌーはいつでも海に乗り出せよう
(26ページより抜粋)
いかに女神ペレとはいえ、空を飛んだりはせずに、やはり航海カヌーでタヒチから渡ってきたわけですね。後段ではクーとロノの2柱の神さまが、カヌーのアカ汲み(船底に溜まった水を掻き出す仕事)をさせられていたりします(笑)。妙にリアルなペレ女神の航海です。
かのエディ・アイカウもタヒチとハワイの間の航海への思いを歌にしています。
「(ホクレア号によせてエディ・アイカウが作った歌)」
ハワイの誇りが風を受けて走る
彼女の姿は僕たちを奮い立たせる
ホクレアへの情熱は日増しに強く、深くなっていく
星々が彼女を導いて行く
海を越え、遙か南のタヒチまで
そして彼女*2はハワイに帰ってくる
ホクレアを目指して
ホクレアを目指して
(Stuart James Coleman, "Eddie Would Go" より訳出)
*1 西洋でも古代ギリシアにおいては歌や楽器演奏と踊り、詩が全て同じもの<ミューズ(楽神)の技芸>とされていましたが、中世以降は音楽とは音を使う芸であり、身体動作による芸や言葉による芸とは別ジャンルのものして区別されました。ですから現在では音楽はもちろん楽器を使って楽曲を演奏するもの「だけ」であり、そういう区分法に従って西洋の音楽以外の身体=音響芸能を分類しようとします。
ですが、そうやって分類される側では、必ずしも西洋式の分類に一致したものの見方をしているわけではありません。例えばフラメンコのバイラオーラが使うカスタネットは音も出しますけれども、それ自体が踊りの一部でもあります。そういったものを楽器(音を出して音楽をやるもの)としてしか捉えないのは片手落ちなのですが、西洋式の音楽の見方では、どうしても楽器としてしか考えられません。ここに西洋の限界の一つがあります。
*2 西洋で船が女性と考えられているのとは違い、オセアニアのカヌーは男性と考えられているので、本当はSheではなくてHeが正しいのですが。もちろんフェミニストがやるS/heなどという無粋なものは当ウェブログにおいて考慮の対象となりません。
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画像はビッグアイランドのキラウエア山の噴火口の一つに供えられた花。ペレ女神に捧げられているのです。もう一つの画像はペレ女神の花とされるオヒア。